ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない アニメ・原作比較感想第4話
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形兆の兄貴が戦国時代好きだったら足軽が出現していた可能性が微レ存。
ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第4話「虹村兄弟 その2」
©LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社・ジョジョの奇妙な冒険DU製作委員会

どうにか億泰のザ・ハンドを退けた仗助だが、億泰の兄・形兆に瀕死の康一をさらわれてしまう。果たして形兆の正体不明のスタンドをかいくぐり、康一を助けることができるのか……? 虹村形兆戦、第4話。
今回は原作4話分ちょい、80ページちょいのアニメ化。適当に水増ししているようで非常にコンセプティブな再構成をしていた前回から一転、今回は原作のディティールを増す構成。台詞も変更というより整理といった印象で、ストーリーの変更点を追う分にはぶっちゃけほとんど書くこと無いな!……ってそこで終わってしまうと今回感想を書く意味がなくなってしまうのですがw



スタンドのオーラがとてもいいタイミングで描かれていることを前回の虹村兄弟の登場シーンの感想で書きましたが、今回もその使い方がとても上手いのが記憶に残りました。具体的には康一と形兆のスタンドが常にオーラをまとっているのが素晴らしい。
ぶっちゃけバッド・カンパニーと卵って「スタンドらしくない」んですよね。卵は卵なんだからそれ以外の何にも見えないのは言うまでもありませんが、バッド・カンパニーは現実の軍隊をミニチュアサイズで再現しているスタンドなのでこれまたやっぱり1発でスタンドと分かるデザインとは言いがたい。また人型1体にイメージが集約されているわけでも近距離型のスタンドでもないので、ジョセフがこの異能を「スタンド」と呼んだ所以である「そばに立つもの」というイメージからも離れているわけです。加えて静物だったり1体1体が小さかったりするこの2つを薄暗い屋内でそのまま描くと、彼らは「スタンド」としての存在感を放てない。画面の暗さに負け本体との繋がりが切れ、単なるホラー軍隊人形とデカイ卵になってしまうのです。
が、それもこれもスタンドをオーラで囲ってしまえば万事解決。明るい色に囲まれれば薄暗い画面に負けることはないし、単なる人形や卵でないことが分かるし、色の違いによって誰のスタンドであるかも明白。なにこの万能薬みたいな特効ぶり! 今回のスタンドのオーラはプラス要素というより、それ無しでは作品が成立しないレベルで話に貢献していたと言っていいでしょう。




それにしても億泰の行動、小さい頃はいい奴だなと思うと同時に、下手したら兄が死ぬかもしれないのにいいのか?と思ったのですが、こうして見返してみるとその結末は仗助と形兆の対決では絶対に「無い」んですよね。
仗助は敵の筈の億泰を「なにも死ぬこたあねー」と助け、その傷を治してやりすらする。奇跡の聖人か何かかこいつは?という行動ですが、実際のところ自分の傷の治療や死人の蘇生ができないという点でクレイジー・ダイヤモンドは奇跡ではないし、「もし康一が死んだらおれはてめーの兄貴になにすっかわかんねーからな…」という点で仗助は聖人でもない。でも「死人を蘇らせられない」「友人を殺されたら怒る」というのは逆に、彼が命の大切さを知る人間だという何よりの証明だとも言えます。
ドラゴンボールの魔人ブウ編で悟空が殺された人々の蘇生を前提に話を組み立てたのがツッコまれることがあるように、生死を操れるようになることって価値観をどこかズレさせてしまいます。例えそれが大局的に正しいことであっても(念押ししますが、あの状況での悟空の判断は正しいものだと思う)。死人を蘇らせられない仗助はそういう存在ではなくて、そしてだからこそ人が死なないように最大限の努力をする。そのために自分が傷を負ったら治せないにも関わらず。「なぜ自分を助けたか」「なぜ自らの傷は治さないのか」の2ステップに分かれた億泰の質問は、1つ目は仗助の正しさ、2つ目は彼の人間性を理解させてくれるものだったのではないかな……と思います。
そして億泰の手助けは結果として、仗助が形兆を殺すトリガーとなり得る「康一の死」を排除する。だから仗助はもう、けして形兆を殺すことはない(実際「殺す」ではなく「こらしめてやる」と発言している)。やっぱり億泰って、バカだけどただのバカじゃないんだな。いや、褒めてますw
以下はちまちまと原作との差異などを羅列。


形兆「弟がマヌケだからきさまをこのオレが殺(バラ)さなきゃあならなくなった…」
形兆の台詞のバックで、億泰が目を覚ます描写が追加。原作だと億泰撃破後に承太郎が東方家を尋ねるなど若干時間が経っており、突然億泰が乱入してきてもそれほど違和感なかったのですが、アニメだと承太郎の東方家訪問時間が前倒しになってるのでこの描写が入っている方が自然。ついでに矢を抜くのを止めようとする仗助に対して形兆が「ん?」と反応する様子も追加されており、彼が目的のためなら人死も構わないこと(ひいてはその後の仗助との対比)が強調されています。



形兆「おまえは1枚のCDを聞き終わったら キチッとケースにしまってから次のCDを聞くだろう? 誰だってそーする おれもそーする」
虹村形兆最大の名台詞……だが感じるのは興奮ではなく時間の流れの残酷さである。掲載時は現代的とすら思ってなかった台詞が、1990年代を感じさせるものに変化しているというのはなにげにショックでした。違うんだよ「1990年代の漫画を2016年に再読する」のと「2016年に作られたアニメを見る」のは! 「サーセン別にキチッとしまいませんwww」とかテキストサイトの類でツッコまれるのを見て「え、そうなの?」とか驚いてたことすら懐かしい!(;´Д`)




仗助「億泰…!」
バッド・カンパニーの攻撃を受けた億泰の名前を呼ぶ台詞は、形兆の苦々しげなものから仗助の驚愕のそれに変更。後の彼の「なにも死ぬこたあねー」に通じる気遣いがより感じられるようになっています。





仗助「それじゃあ…しょうがねえなあーーッ!」
形兆のスタンドの正体を教えることを拒んだ億泰を地面に押し倒す描写は地味にアニメオリジナルの補完。原作だと制服掴んで引き起こす描写はあったものの、そこから手を離すところはさりげに省略されていたのですよね。振り下ろした手の下で億泰の顔が元に戻っているという感じだった治療シーンも、寸止めしたのがより動作として分かるようなカットになっています。






仗助「おれの作戦はよーーー すでに終了したんだよーーー」
バッド・カンパニーの一斉射撃→仗助の勝利宣言は漫画的なスローな時間の流れの典型ですが、発射直後のシーンを白黒反転させて停止、仗助の顔を新たに重ねて勝利宣言させるというのは時間の流れのごまかし方としてふるっている。しかもカメラワーク自体は原作そのままというのがもうねwww 先述したスタンドのオーラはここでも効果を発揮していて、黄色=砲撃の色から修復されて紫=仗助の色になるというのは攻撃の指向性がハッキリしてとても分かりやすかったです。

というわけで、原作の魅力をシンプルにアニメ用に高めた回でした。虹村兄弟編はもう1話フルでやるほどの話数は残っていないですが、次週はどこまで進むんでしょう。
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