漫画感想「うしおととら」文庫版第19巻(完)

結界壁と毒気に覆われ繰り広げられるうしおととらと白面の者のタイマンは、怒りに震える白面の者が自ら両目を潰し、うしおととらはとらの体内に獣の槍を秘して反撃を狙う……という壮絶なものになるわけですが、白面の者への最後の攻撃がとてもいいなと思います。だって「口の中に突っ込む」ですよ、口の中。
直前の字伏との会話でとらはうしおを既に「喰っていた」ことが明らかになるわけですが、それはもちろん物理的な意味ではありません。白面の者への憎しみだけに染まるはずの字伏であるはずのとらがそうならなかった理由――うしおとの日々で得た、言葉に表しきれない大切なもの。それらを精神的に「喰った」からこそとらは腹いっぱいになった。口というものを外部との交信機に見立てたからこそこの表現が成り立つ。ならば、逆に物理的に口の中に突っ込まれた白面の者は、精神的に「喰らわされた」のだという解釈だって成り立つのではないでしょうか。目というものが受信だけでなく雄弁な発信を行うもの、交信機であることを見抜かれたからこそ白面の者は目を潰したわけですが、それでも白面の者の顔からは受発信両方を行えるものがなくなったわけではない。それこそが口なわけです。
本来中に入ったものを噛み砕く器官である口の中に入るのは危険な行為であり、まさに「虎口(とらの口)」。ただ逆に言えばそれだけ真剣な、命がけの交信でもある。とらがうしおを物理的に食べようとする間に気持ちを通い合わせていったように、白面の者に最後の本音(別の名で呼ばれたかった)を言わせるには、最後の最後で改めてそういう行為が必要だったのでしょう。……それがそもそも単純に絵的に格好いいというのがまたすごいんですが。
さて、時を経た古典を読むにあたってしばしばネックになることに「手法の陳腐化」というものがあります。作品の発表時は革命的だった手法が、その後模倣・発展・普遍化することでオリジンはむしろ神性を失ってしまう……という。僕は本作が漫画史に与えた具体的な影響は知りません。僕が定番として受け取った部分が、当時は驚きを持って迎えられた可能性は大いにあります。ただそれでも面白いと思ったなら、新鮮と思ったなら逆に、その理由を語ることに意味はきっとある。僕がもっとも強い魅力だと感じた点――それは本作が「大河的でありながら最後までバディものであった」ことでした。
うしおととらは劇中で本当にたくさんの人間や妖怪と出会いますが、それらの誰1人としてレギュラーにはなりません。うしおの父である紫暮も、兄貴分である流も、最初に出会った妖と戦える人間である鏢も、うしおが惹きつける少女達も役目が終われば彼らのそすぐそばには居続けない。誰もが強い印象を持ちながらもけしてうしおととらを上回ることはなく、彼らの繋がりはほとんどがうしおととらのどちらかを通して描かれている。だからこそ「うしおととらの記憶のみを失う」という白面の者の奸計もこれ以上ない効果を発揮するのです。うしおととらという結節点を失うだけで、本作で描かれた絆は大きく千切れてしまうのですからね。全てがうしおととらに始まり、うしおととらに帰る――これは彼らに味方するものに限ったことではありません。究極的な敵である白面の者ですら、その肉体はシャガクシャ(とら)の憎しみから得たものであり、その心はうしおという太陽に耐えられなかった流と同じであると看破されるのですから。獣の槍の誕生の経緯にうしおが絡むのも、字伏が最終的に憎む相手である白面の者になるのも、巨視的にはうしおととらを中心とした円環の鎖なのです。
これは2人以外に人気の出たキャラの動きを制限してしまう一方で、パーティメンバーを増やし続けることで強さや規模がインフレしていくというバトルものの宿命の回避に繋がり、何より物語に絶対的な強靭さを与えてくれる。先述したようにうしおととらという結節点を失うだけで絆が大きく千切れ、それが彼らを徹底的に追い詰めていく終盤の展開は本作の構造あってこそのものです。そしてその展開すらもやはり中心にいるのはうしおととらであることで、本作の持つメッセージ性はより鮮明になっていく。
うしおを裏切る流や、「等身大の少年としての自分」「ヒーローとしての自分」の均衡を欠いていくうしおのように、本作は人の二面性を描きながらもその片方を非として片付けません。どちらも持った「そのまんまの自分」であることをこそ是とする。同時にそれは「人間は他人にはなれない」ということでもあります。流がうしおにはなれないように。真由子が麻子にはなれないように。紫暮が獣の槍の伝承者にはなれないように。義仲も巴御前もとらにはなれなかったように。草太郎が侍になろうとしてうまくいかなかったように。そして、最後の戦いの後でうしおが「とらになる」ことをとらが否定したように。どんなに親しい仲であっても、その相手になりきることはできない。相手になりきってしまったら、それは「1人になる」ってことなのですから。草太郎が言うように人はひとりぼっちでは生きて行けないのに、1人になってしまっては意味がないのです。
陽と陰は交わることはあっても同じにはならず、また1つにはならないからこそ意味がある。それは本作が人間と妖怪という2つの種族を主とし、また繰り返しになりますが「うしおととら」を中心として描かれていることに象徴されているように思います。ええ、もう一度申し上げましょう。僕は本作が「大河的でありながら最後までバディものであった」ことに最大の魅力を感じたのです。それは僕がこれまでいくつか目にした――時間的には後発の――「皆が力を合わせて最終決戦」ではついぞ見なかったものだったのでした。
もちろん、バディものの縛りから解放された「外伝」もどれもいい話ばかりでしたけどもね。紫暮と須磨子のなれそめやそれに「おじさんもおばさんとっても好き。とってもステキ!」と涙ぐみながら微笑む麻子とか(そこで「好き」って言っちゃえるのが、ああ、やっぱりこの娘はかわいい!)、うしおとはまた違った形で二面性を表す草太郎や最後に蔵を開けるうしおとか、待たずに舞う雷の舞とか……ただそれでも1番好きな短編を挙げるとしたら、本来は外伝に分類されない(「うしおととら全集」に収録されたのだとか)「エクリプス」でしょうか。うしおととらを金環日食(太陽と月の重なり)に例えたこのお話には、本作の要諦がPVじみた疾走感を持って描かれているように思います。
アニメと合わせて実に1年以上の感想書きとなりましたが、本当に本当に、読み応えのある作品でした。改めて、本作を生んでくれた藤田和日郎先生に、長い時を経てアニメ化してくれたスタッフに感謝したいと思います。あとアニメから間を置かず原作を読むよう背中を押してくれたtowaさんにもw すばらしい作品を、ありがとうございました。うしお、とら、アニメ最終回でも書いたけど、「面白かった」ぞ!
関連:
うしおととら 第1話「うしおとらとであうの縁」
うしおととら 第2話「石喰い」
うしおととら 第3話「絵に棲む鬼」
うしおととら 第4話「とら街へゆく」
うしおととら 第5話「符咒師 鏢」
うしおととら 第6話「あやかしの海」
うしおととら 第7話「伝承」
うしおととら 第8話「ヤツは空にいる」
うしおととら 第9話「風狂い」
うしおととら 第10話「童のいる家」
うしおととら 第11話「一撃の鏡」
うしおととら 第12話「遠野妖怪戦道行~其の壱~」
うしおととら 第13話「遠野妖怪戦道行~其の弐~」
うしおととら 第14話「婢妖追跡~伝承者」
うしおととら 第15話「追撃の交差~伝承者」
うしおととら 第16話「変貌」
うしおととら 第17話「カムイコタンへ」
うしおととら 第18話「復活~そしてついに」
うしおととら 第19話「時逆の妖」
うしおととら 第20話「妖、帰還す」
うしおととら 第21話「四人目のキリオ」
うしおととら 第22話「激召~獣の槍破壊のこと」
うしおととら 第23話「永劫の孤独」
うしおととら 第24話「愚か者は宴に集う」
うしおととら 第25話「H・A・M・M・R~ハマー機関~」
うしおととら 第26話(最終回)「TATARI BREAKER」
うしおととら 第27話「風が吹く」
うしおととら 第28話「もうこぼさない」
うしおととら 第29話「三日月の夜」
うしおととら 第30話「不帰の旅」
うしおととら 第31話「混沌の海へ」
うしおととら 第32話「母」
うしおととら 第33話「獣の槍破壊」
うしおととら 第34話「とら」
うしおととら 第35話「希望」
うしおととら 第36話「約束の夜へ」
うしおととら 第37話「最強の悪態」
うしおととら 第38話「最終局面」
うしおととら 第39話(最終回)「うしおととらの縁」
漫画感想「うしおととら」文庫版第1巻
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