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わしならこう名付ける/ドラゴンボール超74話感想


 演じる理由と意味。




ドラゴンボール超 第74話「愛するもののために!不屈のグレートサイヤマン!!」
© バードスタジオ/集英社・フジテレビ・東映アニメーション
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 悟飯が気に食わず彼を貶めようと画策するバリー・カーンだったが、どうにも作戦は上手く行かない。苛立つ彼にワタガッシュが取り付いて……? 負けないヒーロー、第75話。後編の今回はグレートサイヤマンと映画撮影を通して「演じる」事を描いた内容が味わい深い。
 ワタガッシュに寄生されたバリー・カーンとの決戦は、フジテレビそっくりのビルからパンとビーデル、ココア、そしてカメラを持った監督がまるでスクリーンを見守るような図式で展開されるわけですが、悟飯は自分がグレートサイヤマンであることを特別には意識しません。ビーデルとココアも正体を知っているがゆえに悟飯を悟飯として呼ぶ。けれどそこに演技はないのか?と言えばそんなことはありません。悟飯もビーデルも、パンの親にふさわしい自分を「演じ」ようとすることで自分を奮い立たせているからです。「奥さんと子供を幸せにしたい。でもまだ全然だ」と悟飯が語ったように、2人は芯から強い人間であるわけではないけれど、演じることでそれに近づこうとしている。演じる姿は目標であり、理想であり――それは個々人にとっては小さなものかもしれませんが、カメラを通して劇画として見るなら「ヒーロー像」ということになるのでしょう。だから監督は、ビーデルとパンの呼びかけに応えた悟飯をスーパーグレートサイヤマンと名付ける(劇画化)のです。

 このお話は一面、悟飯とビーデルが夫婦からパンを加えた親子に変わっていく(演技を本物にしていく)瞬間を切り取ったものだったと言えますが、その観点で見た時にとても良かったのが映画を見に行くメンバーでした。「悟空・チチ・悟天親子」ー「悟飯・ビーデル・パン親子」であり、サタンもピッコロもいないのですね。ピッコロの反応とかすごく見てみたくはあるのですが、ここでは登場人物が2つの親子に限定されている。そして映画に対して悟天はシンプルに映画を楽しみ、チチは素直に興奮を語り、悟空は正直に途中で寝たことを語る。その平和な親子の姿には悟飯達と対照的に「演技」がありません。悟空のありようにチチが怒ることはあれど、彼らの親子仲は既に完成している。目標に達している。それはきっと、悟飯とビーデルにとって彼らが「理想の親子」であるってことだと思うのです。

 悟飯のことをバラせない、知らない「演技」をする羽目になったバリー・カーンですとか、戦いという物語の魔法が解けないことを感じさせるラストですとか他にも突っ込んで考えられそうなところもありますが、何より見ていて気持ちのよい回でした。

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