だってお前、主人公じゃんよ/Re:CREATORS 12話感想
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第2章が、始まる。
Re:CREATORS(レクリエイターズ) 第12話「エンドロールには早すぎる」
© 2017 広江礼威/小学館・アニプレックス



自分とシマザキセツナの関係を洗いざらい語る颯太。そして、アルタイルに対抗する策とは……
前回書いたように颯太の告白は「自分がシマザキセツナを殺した」という物語を語り共感を得る行為だったわけですが、劇中でしばしば「共感」は「承認」と置き換えられているように、颯太の語った物語の中にすら「物語」と「承認」は見出すことができます。誹謗中傷に悩んだシマザキセツナが颯太に問うたのは「自分は描いてもいいのか、描きたくなってもいいのか」ということでした。そこに彼女が求めていたのは、描いていいという「承認」――すなわち「共感」だったはずです。しかし颯太が返したメッセージは「そんな立場になったことがないからわからない」というものであり、そこには承認も共感も込められていません。本当は、彼女を叩く人に反論して争うのも嫌だという気持ちは同じだったはずなのに。結果としてシマザキセツナの物語は「面白いと思ってもらえず、打ち切りになってしまった」のです。颯太の物語も、場合によっては打ち切りになっていたでしょう(松原いわく「仮にもし君がこれをなんとも思ってなかったら、俺はそんな奴とは『口を利きたくもない』ね」)。けれど松原は自分もひょっとしたら同じことをしたかもしれないと共感し、颯太は松原の厳しくもある言葉はその通りだと同意(承認)する。颯太がアルタイルを止めたいという思いを初めて口にしたことは、既に彼女に対していたセレジア達への共感であり、故に物語は承認され継続を許されるのです。
打ち切りに象徴されるように、物語は最初から最後まで全てが決まっているものではありません。それはアリスの創造主たる高良田の創作姿勢が「できるのは帳尻を合わすことだけ」である事にも象徴されています。「帳尻を合わす」とはつまり「修復力を働かせる」ことであり、創作の中も現実と同様に大崩壊と隣り合わせにある。逆説的に言えば、高良田の「だからお前次第だって言ったんだ。俺が都合よく助けてやることなんてできない」という言葉は「現実という物語に生きる主人公である僕達に神様が語りかけている」ものとして捉え直すことだってできるのです。僕達は主人公ではない?そうです、ブリッツが驚いたように、多くの場面で僕達は主人公にはなれない。けれどそれもまた、「主人公だからじゃない、誰もたどり着けないところへたどり着こうとするからそいつは主人公になれるんだよ」という高良田の言葉の揺らぎの中にある。現にサポートに徹してきた菊地原は、「上手く行かなければ世界が滅びる超巨大イベント」を任される主人公となったのですから。
アルタイルに対抗するための「帳尻合わせ」であるケージ。どこに転がるか誰にも分からないその物語は、颯太が狂言回しを自認する本作の「主人公」でもあります。はてさて、後半戦はいったい何が待ち受けているのでしょう。
関連:
Re:CREATORS 感想リスト
Re:CREATORS 第1話「素晴らしき航海」
Re:CREATORS 第2話「ダイナマイトとクールガイ」
Re:CREATORS 第3話「平凡にして非凡なる日常」
Re:CREATORS 第4話「そのときは彼によろしく」
Re:CREATORS 第5話「どこよりも冷たいこの水の底」
Re:CREATORS 第6話「いのち短し恋せよ乙女」
Re:CREATORS 第7話「世界の小さな終末」
Re:CREATORS 第8話「わたしにできるすべてのこと」
Re:CREATORS 第9話「花咲く乙女よ穴を掘れ」
Re:CREATORS 第10話「動くな、死ね、甦れ!」
Re:CREATORS 第11話「軒下のモンスター」

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