引き続きのご視聴を願って/Re:CREATORS 13話感想
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我々はフィクションである。
Re:CREATORS(レクリエイターズ) 第13話「いつものより道もどり道」
© 2017 広江礼威/小学館・アニプレックス



劇中で「総集編」とはっきり言われている今回のお話ですが、単純にそう見るにはちょっと違和感のある内容でもあります。だって今回の話、颯太を除けば松原達「現実世界」の側の人物が全く紹介されていないのですからね。そして現実と創作の関係性、それに対する被造物の認識、颯太とシマザキセツナの関係といった部分はほぼ語られておらず、「これまでのあらすじ」としても甚だ不十分です。
総集編というのが「用語としては不正確な用い方」であり、今回は「被造物の戦いの記録」として編集(創造)されたものであること。それはメテオラが自分の姿をセクシーダイナマイツに偽ったり、場面を改変してアリステリアを罵倒した部分などからも明らかです。アリステリアの誤認の場面など、瀕死のまみかが止めるのも構わずぶん殴ったように編集されてるから質が悪い。本作が被造物が自らがフィクションたることを自覚するメタフィクションとしての構造を持っている以上、「総集編的なもの」を作るならばそれに対しても自覚的であるべき――そういう意図を持って作られたのが今回のお話であったように思います。その語り部を務められるのは必然、万理の探求者であり真顔でお茶目のできるメテオラ以外にはいません。
本作で「総集編的なもの」を作ることは、作品のメタ構造をさらに一周り重ねるということでもあります。劇中では「現実」と「創作」が入り混じったものとして世界ができているけれど、実際のところ視聴者たる僕達からすればそれは全てが想像の産物に過ぎません。しかし先述したように今回のメテオラはそのことに自覚的であり、自ら物語を編集し本作はフィクションなりと宣言している。更には作画スタッフや監督などに言及することで彼女の言葉は直接「僕達」に語りかけるものとなり、「現実と想像の入り混じった想像」という本作の壁は揺らいでいます。
なお、「被造物の戦いの記録」として語られ編集されたはずの今回のお話で、劇中では創造主(未満)として扱われているはずの颯太はセレジア達と並んで紹介されています。メタフィクションに自覚的な今回のお話で彼が紹介されるのは、颯太もまた「僕達」からすれば被造物であり、「力と勇気と正義のありよう」を教える物語の登場人物なのだという主張なのでしょう。物語の与えられていない僕達の写し身でありながら、やはり彼にもまた役割は定められている。総集編を作るなら他作品以上に注意を求められる本作に対して、ざっくりしているようでよくよく考えられた回でした。

しかし劇場空間と化した会議室の中で、颯太の手を両手で握るメテオラにキュンキュンしてしまう。やっぱり僕は大原さやか声の偽物よりこっちのメテオラの方が大好きです。
関連:
Re:CREATORS 感想リスト
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Re:CREATORS 第2話「ダイナマイトとクールガイ」
Re:CREATORS 第3話「平凡にして非凡なる日常」
Re:CREATORS 第4話「そのときは彼によろしく」
Re:CREATORS 第5話「どこよりも冷たいこの水の底」
Re:CREATORS 第6話「いのち短し恋せよ乙女」
Re:CREATORS 第7話「世界の小さな終末」
Re:CREATORS 第8話「わたしにできるすべてのこと」
Re:CREATORS 第9話「花咲く乙女よ穴を掘れ」
Re:CREATORS 第10話「動くな、死ね、甦れ!」
Re:CREATORS 第11話「軒下のモンスター」
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