漫画感想「うらら迷路帖」2巻

はりかもの「うらら迷路帖」2巻を読了。今回は白無垢祭の続きから九番占選抜予選試験まで……ということでアニメ化の範囲内であり大筋は変わらないのですが、今回はアニメと原作で重み付けが違って面白いなと思った箇所がありました。

(アニメ7話より)

(原作2巻53ページより)
祝詞暗証試験で子守唄を歌ってもらったことをノノが思い出して……というシーンですが、原作ではぽわんとした背景(すいませんこれなんて表現するのか教えてください……)が使われているのに対して、アニメではそうした表現は使われず原作より「軽い」表現に留まっています。どうしてそこに違いがあるのか。考えてみて思い当たったのは、続くシーンの差違でした。


千矢「いいなあ お母さんって、やっぱりいいね」
ノノ「……うん」
(アニメ7話より)

(原作2巻53ページより)
比べてみると、アニメと原作では2人を映す角度が違うことが見て取れます。アニメはカメラこそ斜めにしているが被写体は正面にあり、原作は逆にカメラを水平にしている一方で2人は斜めに映されている。アニメの2カットは千矢を見るノノの視点とノノを見る千矢の視点を交互に映しているのであり、視聴者は自然と「見ている側」に同化したような気持ちで画面を眺めることになるのですが、原作はそうではありません。斜めに映されることで、読者は千矢やノノに同化するのではなく少し離れて――寄り添うような気持ちで紙面を眺めることになる。千矢の言葉にうなづくノノを見る時に「千矢の気持ちになって見る」のがアニメであり、「ノノそのものを見る」のが原作なのです。
その違いを念頭に置くと、表情と台詞の違いについても工夫がなされていることが分かります。アニメのノノは千矢の言葉に頷きながら笑顔になり、そして「ほんとだね」という台詞が削られている。「千矢の気持ちになって見る」のならノノが喜んでくれるのが最高のレスポンスなのですから、千矢の見るアニメのノノは笑顔になるのです。一方で「ノノそのものを見る」原作では、ノノは笑顔になるのではなく、何かを噛み締めているような表情をしています。そしてそこに「ほんとだね」という台詞がある。原作のノノが噛み締めているのはたぶん「お母さんの気持」なのでしょう。だって彼女の膝の上には、その子守唄であやされた千矢の姿があるのですから。
試験終了後にノノが話しかける時、ニナはアニメではまるで母親のように家事をしています。原作では本当に試験終了の直後で、ニナは先生のままです。アニメのノノはこの時ニナに「母代わりの姉」を改めて見出し、原作のノノは「母と共にあってくれた姉」を見ている。故にアニメではニナに決意を宣言するこそが一番「重い」部分であり、1番最初に述べたノノが子守唄を思い出す場面が相対的に軽くされているのです。さじ加減ひとつでこうも変化があり、そしてお話が崩れていないのは素晴らしいことだなと思いました。やっぱり、原作とアニメを見比べてみるのって楽しいものですね。
関連:
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うらら迷路帖 第10話「四人と昇格試験、時々試練」
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