「王道」に関する思案と「覇王大系リューナイト」

作品の評価に多用される「王道」という言葉について思案していたら「覇王大系リューナイト」について無性に語りたくなった。 pic.twitter.com/qq58hiJLNz
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2017年10月23日
僕にとって「王道」というのはとても使いづらい言葉だ。自分のブログを「王道」で検索すると最後に出てくるのは3年前、しかも王道をギャグにした(褒め言葉)「健全ロボダイミダラー」の感想なあたりお察しください。
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2017年10月23日
「正攻法」「お約束」「定番」、王道を使う場合指すのはそんな所だろうか。だけど僕は、1人のキャラが悩んで何か道を見つけた時にそれを汎用的な「王の道」だとは思えない。それはどうあったってその当人にしかできない「彼・彼女)の道」だと感じるからだ。
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選択を行うのが当人である理由がなければ、それらは単に陳腐でどこかで見た展開に堕す。そうならないのは、見る者が感情を喚起されるのは、テーマが同じであろうがその作品に、そこにしかないものを見出すからではないのか。
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2017年10月23日
そしてその上で、僕の観測範囲の狭さを承知で「王道」なのじゃないかなと思う作品。それが1994年放映の「覇王大系リューナイト」TV版。物語は剣と魔法のファンタジー世界だが、初めて聞く人(A)に説明するとこういう反応になると思う。
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僕「主人公は騎士を目指す少年で、まず3人の仲間に出会う。魔法使いと僧侶と……」
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A「DQ3的には戦士か武闘家?」
僕「いや忍者」
A「ナンデ?」 pic.twitter.com/v29ttBD8Su
僕「で、4人が出会う場所は西部劇みたいな荒野だ。最初の敵もガンマン。その後でインディアンとも勝負する」
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A「なんでもアリだな」
僕「そして4人ともロボに乗る」
A「どういう作品なのか想像つかないんだけど」 pic.twitter.com/zRWN78wxI6
そう、外形的には本作は王道とは程遠いむしろカオスな組み合わせ。これが破綻しないのは当時全盛だったRPGをゲームにしたような感覚があったのと、頭身低め、個性は保ちつつデザインに統一性を持たせたロボット「リュー」の存在でバラつきを抑えた点にある。
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そしてリューにはクラス(職業)があり、同じクラスのキャラは存在しない。それはつまり4人が騎士や魔法使い、忍者と言った「定番(=王道)」を背負っているということだ。しかし彼らはその「定番」にぴったり沿った存在とは言い難い。
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主人公のアデューは騎士を目指す少年だが、「騎士道大原則ひとーつ! 騎士たるもの~~」などという他のどの騎士も言わない謎の口癖を持つ。実際の所、序盤の彼は猪突猛進なガキと言って差し支えない。 pic.twitter.com/gnXqB1QHh7
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僧侶のイズミは服装以外とてもそう見えない大柄マッチョなおっさんだし、忍者のサルトビは結構感情的でお人好し。ヒロインで魔法使いのパッフィーはもう1つ姫という「定番」を背負っているが、これがスタッフが扱いで苦労したという理由かもしれない。でも恐ろしくかわいい。 pic.twitter.com/ahGZdIKnPs
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他にも当時のインディアンモチーフとしては珍しく(?)長髪美形のグラチェス、果断さも見せるが何より温厚な侍の月心など登場キャラは「定番」と微妙にズレている。ガンナーのリューに乗るカッツェに至っては本業は商人という始末。 pic.twitter.com/alQVvUHutr
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この「定番」とキャラのミスマッチにも関わらず、むしろだからこそ、キャラにクラスに基づいた「定番」を求めるのが本作の物語。「実はお前は敵の血を引いていたんだ!」「仲間の中に裏切り者が!」という、クラスのドンデン返しはない(要後述補足)。
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そしてミスマッチはキャラ個人の魅力として成立している。先述したように同じクラスのキャラは存在しないので、誰かが埋没したり印象を奪われるような事もない。
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彼らが中盤から戦う敵は、別世界から侵略してくる「邪竜族」。敵にも事情が……とかそんな和解の可能性を感じさせるものはTVではなく、ひたすら生存競争における敵、悪として描かれる。ラスボスの皇帝とか人となりが分からんレベル。仮面外さないし。
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そういうシンプルな戦いの中でもアデュー達は確かに成長していく。リューのパワーアップは上位職へのクラスチェンジであり、彼らの「定番(=王道的存在)」に相応しい存在となっていく事を意味する。 pic.twitter.com/v2Ssosn48K
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またアデューの成長していく姿はヨーロッパ的な「騎士道」を指さない。むしろRPG的な「勇者」と読み替えて良い。つまり彼は「主人公に相応しくなっていく」のであり、その姿を以って物語は「王道に寄り添っていく」のだ。 pic.twitter.com/IIaDiKtViZ
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王道を進むことでキャラクターが成長するのではなく、キャラが成長する事でむしろ王道へと至っていく。剣と魔法だけで済まないなんでもありの邪道的な世界だからこそ、僕には虚構にも思える「王道」という塔へと本作は手を伸ばせたのではないかな……と思う。
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補足になるが、「実はお前は敵の血を引いていたんだ!」「仲間の中に裏切り者が!」という「定番」は本作ではアデュー以外のキャラが背負っている。中盤までの悪役であり、最後の味方となる闇の魔法剣士(ダークナイト)ガルデンだ。 pic.twitter.com/gccCtklllY
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当初の彼は他のキャラと違って「定番」との齟齬を起こしていない。剣と魔法を巧みに使い、誇り高く冷酷非情で、そして美形。サルトビの両親の仇でもある。
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しかし中盤で自分は人間と邪竜族のハーフである事、育ての親のイドロが自分を邪竜族の侵攻の尖兵に利用していた事を知る。彼は彷徨い、悩み、1度は死の淵に消えたと思いきや最後に味方として復活する。
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その時、彼のリューは黒のダークナイトから白きルーンナイトへと「クラスチェンジ」していた。悪役から味方への変化の「定番」を歩むと同時に、彼は当初自分の背負っていた「定番」を捨てもしたのだ。 pic.twitter.com/GZjq2bdBJX
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そうしたドラマを彼(と彼に家族を殺されたサルトビ)が背負っているからこそ、本作は単調にならずまた常にバランスを崩さない。彼らがいるから、アデューの成長はいつも戦いの真っ只中にいられる。故に最初から最後まで主人公の椅子に座り続けられる。 pic.twitter.com/C8NcKbk0jv
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「定番」と「非定番」を切り分け配置し直すことで、大筋としてシンプルで、どこかで見たような要素の組み合わせなのにどこにもない物語を作り上げた。それが「覇王大系リューナイト」なのだと思う。
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本作は漫画版とOVA版があり、それぞれ全く別の内容となっているので二度三度と楽しめます。1988年の「魔神英雄伝ワタル」、1991年の「NG騎士ラムネ&40」(こっちは僕は見られてないんだけど)からの流れを把握している人ならもっと面白く語れるのじゃないかな。
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2017年10月23日
あと繰り返すけどパッフィーが視聴した少年の性癖に確実に影響を及ぼすレベル。矢島晶子の演じる女の子はこんなにもかわいいのだ。
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リューナイト リュー召喚シーン【再】 https://t.co/bTVPNBjzFW #sm8458923 #ニコニコ動画

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