向こうも人間なのでしょう/クジラの子らは砂上に歌う 3話感想
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それは彼らが私達と同じなのか、私達が彼らと同じなのか。
クジラの子らは砂上に歌う 第3話「こんな世界は、もうどうでもいい」
© 梅田阿比(月刊ミステリーボニータ)/「クジラの子らは砂上に歌う」製作委員会



突如としてファレナを襲った謎の集団。戦いを知らないファレナの人々はなすすべもなく……前回は「似て非なるもの」を中心とした感想を書きましたが、サミを始め多くの人の命が失われた今回もまた、泥クジラと「本国」の人々を奇妙に似たものとして描いた回であったように思います。
兵士達の目的はヌース・リコスの回収にあり、泥クジラへの攻撃は言ってみれば様子見だったわけですが、1話で流れ島を見つけた泥クジラの人々がとった行動はなんだったでしょうか。「資材の回収のために偵察隊を送る」――そう、様子見です。そしてヌース・リコスには次期総督オルカの妹であるリコスが乗り組み、流れ島への偵察隊には次期首長スオウの妹であるサミが選ばれた。そしてリコスは妹として死に、サミは命を落とす。チャクロの記録は最初から日記だったわけではなく役割を以って命じられたものでしたが、「本国」もファレナ殲滅には記録こそが肝要だとしている。一糸乱れず統率されているように見える兵士にリョダリという異端がいるように、皆が現状に満足していたかのようなファレナにもオウニという異端がいる。スオウの「向こうも人間なのでしょう」という言葉は、世迷い言のようでもけして的外れではないのでしょう。
外の世界へと繋がったファレナには大きな転機が訪れていますが、物語を動かすであろう3人の取る道もまた、これまでと似ているようで少し異なっていきます。スオウはタイシャの死によっても話し合いを続けようとした筈が思いが揺らぎ、次期指導者から指導者になる。目の前の世界に倦んでいたオウニの思いを外の世界は満たしてくれない。記録ではなく個人的な日記を記すようになったチャクロの語りは、強く感情を表したものになる。変わってゆく世界で、この3人が少しだけ変わることが何をもたらしてゆくのか。感情のない兵士の動きが散漫に感じられるのが少し残念にも思いましたが、改めて先を見守りたくなった第3話でした。
クジラの子らは砂上に歌う 感想リスト
クジラの子らは砂上に歌う 第1話「私たちの大事な世界の全てだった」
クジラの子らは砂上に歌う 第2話「鯨(ファレナ)の罪人たち」

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【言及】
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