不確かさに何を見出すか――「クジラの子らは砂上に歌う」5話感想
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クジラの子らは砂上に歌う 第5話「逃げるのはイヤだ」
© 梅田阿比(月刊ミステリーボニータ)/「クジラの子らは砂上に歌う」製作委員会



泥クジラの深奥にあったのは、かつて流れ島で見たのと同じ「ヌース」だった。長老会は泥クジラを沈めるべく弓矢を放つよう指示するが……
前回はお話全体に「反転」が感じられましたが、今回も同様。しかし状況の厳しさゆえに絶望へと反転していった前回と逆に、今回はそれを希望へと反転させようとする心が大きな役割を果たしているのが感じられました。口火を切るのは自分の身を呈してヌース・ファレナを守ろうとしたリコスの、感情を持たず泥クジラを沈めに来たという出自と反転するような行動。それは長老会を困惑させる一方でチャクロには希望に映る。シュアンの生きる苦しみから解放されようという誘いは、オウニには自分の世界を捨てたいだけだと反論される。印の短命を解決できていないのにそのサイミアに頼るのは身勝手ではないか……というスオウの惑いもまた、オウニに自分達は短命の呪いを最初から受け入れていると励まされる。世界が1つだけではないことに皆が混乱する一方でチャクロが目を輝かせたように、目の前にあるものが同じでも受け取り方次第で、すなわち心によって景色は絶望にも希望にも「反転」し得るのです。
それは単なるスタンスに留まるものではなく、現実の力関係にも大きく作用します。長老会の傀儡に過ぎなかった首長とその側近達は、自発的に動き始めたことでむしろ長老会を自らを追認するだけの組織に変えてしまう。チャクロ達にとって驚きである帝国がヌースを8つ「も」所持しているという事実は、兵士であったリコスからすれば8つ「しか」ないという不足になる。世界が泥クジラと敵対する「帝国」だけではなくそれと敵対する国もあるのなら、敵の敵は味方として泥クジラを受け入れてくれる可能性もある。「牢屋の鍵をぶち壊す道具」は人がのしかかれば逆にぶち壊される対象になってしまうw
絶望の集団自決も、希望の奮起も。皆のためとひたすら己を律してきた長老会も、演説の途中で涙してしまうスオウも。心が邪魔なんだとすら語るシュアンも。泥クジラの誰もが感情に揺さぶられ振り回されている。それは等しく彼らが心を持っている証拠であり、だからこそ進む道が正しいことを保証しません。しかしそれは、間違っていることもまた保証しない。果たして彼らは、これからどのような記録をつむいでゆくのでしょうね。
関連:
クジラの子らは砂上に歌う 感想リスト
クジラの子らは砂上に歌う 第1話「私たちの大事な世界の全てだった」
クジラの子らは砂上に歌う 第2話「鯨(ファレナ)の罪人たち」
クジラの子らは砂上に歌う 第3話「こんな世界は、もうどうでもいい」
クジラの子らは砂上に歌う 第4話「泥クジラと共に砂に召されるのだよ」
クジラの子らは砂上に歌う 第5話「逃げるのはイヤだ」

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