拙くとも思いの価値は変わらない――「クジラの子らは砂上に歌う」6話感想
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ほんの兆しのようでも。
クジラの子らは砂上に歌う 第6話「明日、人を殺してしまうかもしれない」
© 梅田阿比(月刊ミステリーボニータ)/「クジラの子らは砂上に歌う」製作委員会



スキュロスの襲撃まであと4日。泥クジラの人々は戦いの訓練をし…… 敵の撃退のための訓練をチャクロは「不慣れなごっこあそびのよう」と評する一方、精一杯で真剣だったとも語りますが、この6話でそれは過去・現在を問わず共通するところだったように思います。
今回は体内モグラ仲間のニビの回想で幼き日のオウニとの出会いが描かれ、2人はそこで人に向けられるのを禁じられているサイミアを使って喧嘩をします。それは言ってみればこれから行われる戦争の「ごっこ遊び」ですが、そこでニビが真剣じゃなかったなんてことはもちろんありません。その後の体内でのやりとりが決戦を控えた現在と位置取りを等しくしている所からも見て取れるように、過去も今も彼らのそれは変わらず精一杯のものです。
自警団の長たるシュアンも妻帯者である事が明らかになる一方、彼は妻であるシエナに温かみのある言葉をかけません。彼にしてみればシエナは夫婦という「ごっこ遊び」の相手に過ぎないのかもしれません。しかしシエナにとってはそうではなく、彼女の気持ちは涙という形をとる。
気持ちとは形になって見えるものかどうか――それは感情がサイミアやヌースの力の源になる本作において、とても重要な事柄であるように思います。ごっこ遊びのようでも泥クジラの人々の訓練する姿は最初の襲撃では逃げ惑うばかりだった彼らの確かな変化だし、一見すると意味のないおふざけに見える砂戻りには死者との対話という意味がある。泥クジラの服に身を包んだリコスは普通の女の子らしい表情を見せ始め、ネリとそっくりでも真逆の色合いの服を着たエマの口ぶりはネリとは似ても似つかない。そして、リコスとの出会いで変化してゆくチャクロは彼女の縫い直した服に袖を通して戦いの場へ赴く。不慣れでも下手くそでも、思いは外に現れてゆくのです。
さて、視界を覆う砂塵のように先の見えないこの戦いの行く末は。できるだけ多くの人に生き残ってほしいものですが。
関連:
クジラの子らは砂上に歌う 感想リスト
クジラの子らは砂上に歌う 第1話「私たちの大事な世界の全てだった」
クジラの子らは砂上に歌う 第2話「鯨(ファレナ)の罪人たち」
クジラの子らは砂上に歌う 第3話「こんな世界は、もうどうでもいい」
クジラの子らは砂上に歌う 第4話「泥クジラと共に砂に召されるのだよ」
クジラの子らは砂上に歌う 第5話「逃げるのはイヤだ」

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