砂上の友は刃を向け合う――「クジラの子らは砂上に歌う」7話感想
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同じ懐かしさを持てども。
クジラの子らは砂上に歌う 第7話「お前たちの未来が見たい」
© 梅田阿比(月刊ミステリーボニータ)/「クジラの子らは砂上に歌う」製作委員会



スキュロスへの潜入を決行するチャクロ達。泥クジラでも防衛戦が始まり……一方的な「虐殺」だった以前と異なり今度は泥クジラと帝国が互いに「交戦」……矛を交わすものだったわけですが、それをもって今回は両者の相似が描かれていたように感じました。
防衛戦には泥クジラの多くの民が関わっており、矢を射かける子供達は無邪気に敵兵を倒した事を喜び、死体に近づき武器を奪う事を恐れもしません。それはおそらく、相手が仮面を被っていて顔が見えないからでしょう。子供達にとって射殺したり奪った相手は「敵」でしかなく、人間を傷付けたという意識は無い。それはアパトイアが感情を持たないゆえに無力な人々をためらうことなく殺傷するのと、どちらが残酷でしょうか。
その点だけでなら、リョダリは子供達やアパトイアよりよほど相手を人間として見ていると言えます。彼は感情の無い人形を殺すのに飽き飽きしており、喜怒哀楽をあらわにする人間をこそ相手にしたい。「俺が狂ってんじゃなくて、世界が狂ってんだよ!」という彼の言葉は、一面では確かに真実なのでしょう。そして感情の無い世界を狂ってると叫ぶ彼に同意するのが感情を否定しない世界を疎んでいるシュアンであるのは、1周回って必然であるように思います。
時に相似し、時に反転し、しかし元は同根。元は敵のリコスが今はチャクロを導きさえするように。かつて泥クジラを沈めようとしたハクジもまた民を愛おしく思っていたように。チャクロが自分や仲間を守るために発動させる力が、人を殺すことにも使われるサイミアであるように。……一方的に相手を討つばかりでことが済むわけもないように。チャクロには一体、何ができるのでしょうか。
<追記>
ああ、アラフニ司令が「奴」なんて言い草をする時にマスクを外すのは「この人は感情持ってます、出してます」ってサインと受け取れるのか。#kujisuna #クジ砂 #クジラの子らは砂上に歌う pic.twitter.com/ran9DoJkXt
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2017年11月21日
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クジラの子らは砂上に歌う 感想リスト
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クジラの子らは砂上に歌う 第2話「鯨(ファレナ)の罪人たち」
クジラの子らは砂上に歌う 第3話「こんな世界は、もうどうでもいい」
クジラの子らは砂上に歌う 第4話「泥クジラと共に砂に召されるのだよ」
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クジラの子らは砂上に歌う 第6話「明日、人を殺してしまうかもしれない」

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