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フィクションが後押しする現実――「かくしごと」1巻感想

かくしごと(1) (KCデラックス 月刊少年マガジン)

 久米田康治の「かくしごと」1巻を読了。漫画家もの……と言うと作者自身が書いているように必ずしも珍しいジャンルではありませんが、本作を読んでどこかで見たような作品だ、と思う人はそうはいないのではないかと思います。
 大ヒットを目指すサクセスストーリーではなく、かと言って漫画家の日常をゆる〜く描く内容というわけでもない。「かくしごと」のダブルミーニングが指すように主人公・後藤可久士にとって自分の下ネタ漫画という「描く仕事」は娘には明かしてはいけない「隠し事」。この明かしてはいけない対象が娘の姫に対してだけというのが良いのですよね。世間一般に対してだとこれまで久米田康治が作中や紙ブログでやってきた自虐(ネタ)と変わりませんが、愛娘だけに細く編み直されることで必死になる理由が生まれる。共感というより「そう思っちゃうかもね」という強い納得が生まれる。自虐ネタは「そんなこと言っても久米田先生、しっかり自分の地保を固めた成功者じゃないですか。ネタで書いてるんじゃないですか」という印象も抱いてしまうのですが、少なくとも可久士に対してそんなことを疑う余地はありません。彼は芯から姫のことが大好きで大切で、だからこそ自分の仕事がバレたら娘がいじめられたりするんじゃないかと心配で仕方ない。彼は必死だ。生々しい分だけ嘘のようにも思えたネタは、フィクションの土台に乗ったことで自然な現実味を獲得しています。

 フィクションこそが現実を後押しする。それは上で述べたネタに限らず登場人物の造型にも見ることができるもので、彼らはいかにもフィクションといったネーミングをしています。「後藤可久士」「後藤姫」は姓名を入れ替えれば「かくしごと」「ひめごと」だし、アシスタントも「志治仰(しじあおぐ=指示仰ぐ)」だの「筧亜美(=カケアミ)」だの、編集は「十丸院五月(とまるいんさつき=止まる印刷機)」だの。一見普通に見える小学校教師の六條一子も「スクリーントーンの61番みたいな肌の色」なんて自己紹介してたりする。脇役達はとてもシンプルに造形されていている一方で読者が感情を乗せる余地がほとんどない=フィクションとしてのキャラを越えることがありません。だからその中で可久士の姫への愛情だけが輝いて見える。くだらないことにやきもきして馬鹿げたことをしでかす可久士の姿が逆に現実味を持って感じられるのです。

 あくまで物語は可久士の視点で描かれるために姫の心は見えない一方、物語の始まりと巻末は数年後に姫が可久士の隠し事を1人知るところが描かれます。この空白の中で何が起きたのか――笑いながらも先の気になる1作です。

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