重なれど交わらず――「クジラの子らは砂上に歌う」8話感想
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例え砂上の塵にもなれずとも。
クジラの子らは砂上に歌う 第8話「この世から消えてしまえ」
© 梅田阿比(月刊ミステリーボニータ)/「クジラの子らは砂上に歌う」製作委員会



スキュロスのヌースの間へたどり着いた突撃隊。しかしそれは敵の罠で…… 前回は反撃を始めた泥クジラの人々がどこかアパトイアと重なって見えるところがありましたが、今回は改めて両者を分かつお話であったように感じました。
泥クジラに来たリコスにそうしたように、リョダリの過去を知ったスオウは彼にも手を差し伸べようとします。「一緒に生きればいい」と。それは泥クジラから生え出した手を見たシュアンの言葉を借りれば、「それぞれの境界が揺らいでいる」ということ。泥クジラと帝国が互いを殺し始めたり、リコスが泥クジラの一員となったことは、両者を別個ではなく近しい、等しい存在へと近付けてゆくからです。リョダリと戦うシュアンもまた、同じようにすれば生きる実感が湧くのかと彼を「死にたくないと泣きわめかせ」ます。しかし結局、泥クジラと帝国の人々は同じにならない。
感情の無い世界で感情を持ち続けたリョダリの求めるコミュニケーションは殺し合いへと歪んでしまっているし、生に執着できないシュアンの心はリョダリの真似をしても結局満たされず、なぶり殺しはスオウに止められる。
少数派が排斥されるのは少数派である以外の理由はなく、それは少数派が正しいとも多数派が誤っているとも根拠付けません。どちらに属しているか以外で違いがあるとしたらそれは、自分で選んでそうしたかどうかということなのでしょう。少数派の体内モグラのリーダーでありながら多数派を手伝っているオウニも、キチャ達を置いてギンシュ達も置いて少数派の極みとしてオウニのところへ走ったニビも、そして帝国の誰からも理解されずとも泥クジラの一員となったリコスも、それが何をもたらすかに関わらず選択したことには価値がある。彼らの選択のその先を次週、見たいと思います。
関連:
クジラの子らは砂上に歌う 感想リスト
クジラの子らは砂上に歌う 第1話「私たちの大事な世界の全てだった」
クジラの子らは砂上に歌う 第2話「鯨(ファレナ)の罪人たち」
クジラの子らは砂上に歌う 第3話「こんな世界は、もうどうでもいい」
クジラの子らは砂上に歌う 第4話「泥クジラと共に砂に召されるのだよ」
クジラの子らは砂上に歌う 第5話「逃げるのはイヤだ」
クジラの子らは砂上に歌う 第6話「明日、人を殺してしまうかもしれない」
クジラの子らは砂上に歌う 第7話「お前たちの未来が見たい」

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