精一杯の生を――「クジラの子らは砂上に歌う」9話感想
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それがどんなに醜くても。
クジラの子らは砂上に歌う 第9話「君の選択の、その先が見たい」
© 梅田阿比(月刊ミステリーボニータ)/「クジラの子らは砂上に歌う」製作委員会



足を撃たれ、絶体絶命の危機に陥るオウニ。泥クジラを防衛する皆も限界が近く…… スキュロスとの攻防が終結する今回は、本作において生きるというのはどういうことなのかを提示するお話だったように感じました。
皆が疲労する中で敵兵の前に降りたクチバはタイシャがどんな人だったのかを、その死の悔しさを語ります。彼を救うマソオもまた、また自分の娘が死んでいなかったらどうなっていたかなんて考えたりする。彼らがはかけがえのないものを失ったわけだけど、その心の記録を奪って楽にしてあげると言われれば反発するでしょう。
死出の旅路へ向かったニビもまた、自分達の無力さを吠えながらも、同時に外に出るのが叶わなくともそれを夢見てオウニと共にいるだけでも満足だったことを告げます。求める結果を得られない心の記憶も、けして彼が失くしたいものではない。
怒りや憎しみを捨てることなく、殺された仲間に涙し、自分達が生きるために敵なら少年兵でも殺す。生きることは痛みや苦しみも含んでいて、それば醜いことなのかもしれない。感情を抑えることでその醜い部分から距離を取っていた泥クジラの人々は、帝国の襲撃で否応なくそれと向き合うことになりました。これだけ苦しくても、なお感情を持って生きるか?――心を捨てようというオリヴィニスのささやきは、かつて長老会が選ぼうとした集団自決の裏返しです。ならばかつてそれに異を唱えたチャクロが拒絶するのは必然の繰り返しなのでしょう。長老会に希望を訴え今度は苦しみを受け入れる彼の言葉は、泥クジラが選んだ道のここまでの総括であり再提示でもある。
少年漫画なら主人公をやっているであろうオウニもまた、死にゆくニビに元が空っぽの自分に心を詰め込んでくれたのが誰であるかを叫びます。スオウやチャクロほどは感情の見えない彼にとってニビ達がどれほど大事であるかは、途切れることなく流れる涙という痛み苦しみによって証明される。
「お前たちの未来が見たい」「見せてくれ。砂塵を払って、この世界の先を」「君の選択の、その先が見たい」……かくて3人の少年は、去っていく者たちから未来を託されました。泥クジラの船は、これからどこへ向かうのでしょう――
関連:
クジラの子らは砂上に歌う 感想リスト
クジラの子らは砂上に歌う 第1話「私たちの大事な世界の全てだった」
クジラの子らは砂上に歌う 第2話「鯨(ファレナ)の罪人たち」
クジラの子らは砂上に歌う 第3話「こんな世界は、もうどうでもいい」
クジラの子らは砂上に歌う 第4話「泥クジラと共に砂に召されるのだよ」
クジラの子らは砂上に歌う 第5話「逃げるのはイヤだ」
クジラの子らは砂上に歌う 第6話「明日、人を殺してしまうかもしれない」
クジラの子らは砂上に歌う 第7話「お前たちの未来が見たい」
クジラの子らは砂上に歌う 第8話「この世から消えてしまえ」

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