等身大の君であれ――「フリクリ」6話感想

それは恥ずかしいことじゃない。
フリクリ 第6話「フリクラ」
©1999 I.G/GAINAX/KGI
「フリクリ」第6話「フリクラ」を視聴。背伸びせず、縮こまらず。#フリクリ pic.twitter.com/DXeDnE9lwo
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2017年12月9日
前回モテ男でもヒーローでもない事を自覚してしまったナオ太の周囲からはハル子もカンチも消え、周囲は改めて彼に普通になるよう勧める。漫画絵みたいな手間なアニメはやめやめ、トンデモ宇宙人のハル子なんて意識するのはやめやめ、大人しく土管に収まって眉毛を整えろ。#フリクリ pic.twitter.com/1wfjskDNmu
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猫は猫同士仲良くするのがいい、マミ美と仲良くするのが大人のあり方だとアマラオは諭すが、彼女が自分を求めているわけじゃない事をナオ太は知ってしまっていいる。「タッくん」というのは自分の思い通りになるタスク(ナオ太の兄)の代替ならなんでも構わないのだと。#フリクリ pic.twitter.com/kmvNX6fY8O
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マミ美からもハル子からも、求められてるのは自分じゃない。暗い部屋の中、ナオ太は1人4話で自分の頭から引っこ抜かれた(子供のくせにでかいらしい)ギターの弦を弾く。虚しいばっかり。#フリクリ pic.twitter.com/48LItonmwR
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で、唐突に戻ってきたハル子は珍しく優しい。「タッくんはまだ子供だから」と甘く囁き、ナオ太もまた母親にすがるように抱きつく。重なるナオ太とハル子のギターはどこかエロティックだが、ナオ太に抱きしめられるハル子の目は遠くを見ている。#フリクリ pic.twitter.com/Ry8GHJGNv9
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一方マミ美は代わりのタッくんを探す。今度のそれは前回カンチが倒したクリーチャーのターミナルコア――マミ美がそんな事を知る由もないが、ネーミング的にもそれは立派な「タッくん」ではある。#フリクリ pic.twitter.com/23YWyrmtwm
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が、ナオ太もターミナルコアも親父が世話しなかったら死んでしまったハムスターではない。彼が言うように勝手に大きくなる。言う事を聞かなくなる。ナオ太が増長したように、ターミナルコアもマミ美の言う事を聞かなくなる。更にカンチを取り込んで地球は何だか消滅の危機。#フリクリ pic.twitter.com/uX9nWCHO8K
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これにナオ太が加わってしまうとギミックが成立して地球はおじゃん。ハル子は勝手な奴だ、大人ならそいつの言う事を聞くなとナオ太はアマラオに諭されるが、彼はハル子の元へ行く。アマラオはガキと罵るが、そうだナオ太はガキだ。ヒーローでもなんでもない。#フリクリ pic.twitter.com/xmnFNPRErz
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けれどナオ太は単にハル子に利用されるだけでもない。彼女が欲していたアトムスクの力を自分が手にし反逆する。そんな彼にハル子は初めて容赦なく、じゃれるのではなく襲いかかるがナオ太はそれをものともしない。今の彼はカンチの鉄砲玉じゃない。#フリクリ pic.twitter.com/BpcAPngWzV
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そして、ハル子を排除するのにいい機会だとアマラオはナオ太をけしかけるが――やっぱりナオ太は言う事を聞かない。ハル子も焦る急降下攻撃を止めて口にするのは、「好き」という一言。ガキだガキだああガキだ、スマートさの欠片もない。#フリクリ pic.twitter.com/AMktBGljsB
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けれどその正面からの言葉は、初めてハル子を動揺させる。ニナモリは素直に口に出して言えばいいと言った。私なんて大泣きしながら両親に言ったと(3話!)。ナオ太がやったのは、結局はそれなのだ。#フリクリ pic.twitter.com/fS9A8FhEAO
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結局飛び去ってしまったアトムスクを求め、ハル子は宇宙へ旅立つ。かつてナオ太に「まだ子供だから」と甘く囁いた時はちょっとした家出に一緒に誘ったが、今度は同じ文言を使って宇宙へは連れて行かない。#フリクリ pic.twitter.com/k6m3hyZUQL
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けれどそれは、文言は同じでも意味する所はきっと同じではない。今度の子供呼ばわりは寝かしつけるためのものではなく、彼女なりに誠意を込めたナオ太の告白への「返事」なのだろう。#フリクリ pic.twitter.com/kP51Y4bfyR
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旅立つハル子のバイクには、アトムスクのギターと共にナオ太のギターが積まれている。そしてナオ太は、残されたハル子のギターを抱いて天を見つめる。一緒には行けなくとも、互いに確かに胸に残したものはあった。#フリクリ pic.twitter.com/tHSElIsLCo
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そんなナオ太にマミ美も「さよなら、ナオ太くん」と別れを告げて去る。彼女はもうナオ太を「タッくん」とは認識できない。だから彼女もまた、一緒には行かない。ガキだからだけど、ナオ太が自分はガキだと認められたからこその美しい別れ。#フリクリ pic.twitter.com/CDqdxJM7pa
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さてフリクリ、想像以上にアクロバティックでなんとも面食らうことの多い作品でした。例えるなら魔球でも見ているかのような。基本的には自分の感想を書いてから他人のそれを見る主義なのですが、1,2話は正に暗中模索といった感じでした。#フリクリ
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そんな中、3話の「ニナモリがナオ太の家では本物の眼鏡、ラストでは伊達眼鏡」に誰か言及してねーかと我慢できず検索してしまったのが運の尽き。こちらのサイトにたどり着いて1話の感想を見てしまったのです。
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2017年12月9日
「〝フリクリ”の見方、教えます」https://t.co/XtzDwmmM8A#フリクリ
既に書いてある分ならすり合わせしてもいいだろう、と思ったらバッドエンドだどーだって1話の部分で書いてあるんだもの、慌てて閉じましたがその一文を読んでしまった記憶は消えない。4話のナオ太はハル子の言った通りにやってない、というのはこの記憶がなければ見えなかったと思う。#フリクリ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2017年12月9日
ただ、実際にはずっと明るい気持ちで僕は本作を見終える事ができた。ハル子もマミ美も失ったのではなく最初からナオ太の手元になく、彼はそれでもハル子に手を伸ばした。その行動に意味がないなんて僕には思えない。マミ美との関係も文字通り不健全だったのだから、あれは清算なのだ。#フリクリ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2017年12月9日
本作を見て自分の精神年齢について考えた者はきっと、自分の奥底に本作を視た時の記憶を焼き付けられる。思い返す度に見返す度に、あの時に比べて自分はどうかと思いを馳せるだろう。#フリクリ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2017年12月9日
今回初めて見た僕はと言えば子供時代なんてとっくに過ぎて、もうアマラオにも自分を重ねられるか怪しい。一方で未だ歪な自分の人格にどこか優しく手を差し伸べてもらったようにも思えた。#フリクリ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2017年12月9日
いつ見てもいい、でも興味があるならできるだけ早く見てみた方がいい。1人の少年を描いたこのアニメは、そんな作品だと思う。素敵な視聴時間でした。#フリクリ pic.twitter.com/TMgLgPHqW9
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2017年12月9日
<「〝フリクリ”の見方、教えます」の本作がアニオタ批判であるという解釈に関する追記>
オタクな傾向を持ちつつそんな自分を嫌悪して、旧劇エヴァ見て現実に帰ろうと試みて、何年か前にやっと「俺はこれが好きなんだ」って自認できた人間としては脱オタ論語られたらちょっと身構えちゃう所だったのだけど。フリクリを実際に見終わってみるとその辺はほぼ意識しなかった(;´∀`)
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2017年12月10日
フリクリが脱オタ論というようには意識しなかったと以前に書いたけど、もうちょっと考えてみて、そういうオタ批判に対して僕が本作で受け取った物語からこう返せるかな……と思った。#フリクリ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2017年12月16日
フリクリ最終回、大人ぶった子供に過ぎなかったナオ太は最後、自分の子供らしさに素直になることで大人への道を1歩進むことができた。無理に大人になろうとするのではなく、子供として在ることで大人に近づいた。#フリクリ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2017年12月16日
大人と子供について触れたが、アニメは大人っぽいものか子供っぽいものかと言われれば後者だろう。少なくとも大人になったから見ようなんて考える人は相当に珍しい。#フリクリ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2017年12月16日
なので、最終回のナオ太の構図をアニオタに置き換えてみる。そうすると「脱オタぶったアニオタに過ぎなかったナオ太は最後、自分のアニオタらしさに素直になることで脱オタへの道を1歩進むことができた」となる。#フリクリ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2017年12月16日
部活の最後の大会や受験の時などによく言われるのは「悔いのないように精一杯やろう」という事だ。今の自分のままでいられなくなる時には、思いっきり「今の自分」をやりきらないときっちり次の自分になることができない。#フリクリ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2017年12月16日
だからオタクをやめる時は大人ぶる=脱オタぶるのではダメなのだ。最後の大会が上の不祥事で出場中止になったら引きずらずにいられるか?風邪を引いて受験できなかったら心残りにならないか?ならないわけがない。大人ぶっただけのアマラオがハル子への好意をひきずってるように。#フリクリ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2017年12月16日
オタクだろうがなんだろうが精一杯に好きなことをやって、それが自分の中で終わって初めて人は次のステージに立てる。だから、他人の目を気にして……とか親にグッズを捨てられて……とかそんな理由でオタクをやめても、根は残ったままだろう。#フリクリ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2017年12月16日
こういうのは最近の作品だとユーフォ2で親の言う事を聞いて進学先を決めたけど美容師の夢を諦めきれなかった麻美子や、サクラクエストでオーディションに落ちる事で役者として食っていく事を諦められた真希なんかとも通じるところかなと思う。#フリクリ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2017年12月16日
だから僕はまだ当面はアニメを見続ける。自分がアニメを好きでなくなるその時まで。#フリクリ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2017年12月16日
関連:
フリクリ 感想リスト
フリクリ 第1話「フリクリ」
フリクリ 第2話「ファイスタ」
フリクリ 第3話「マルラバ」
フリクリ 第4話「フリキリ」
フリクリ 第5話「ブラブレ」

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