事実は動かず、思いは動く――「このはな綺譚」11話感想
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案の定の24時越えorz
>拍手返信:と~しきさん(このはな綺譚10話感想)
>見る角度によって景色は全く異なる。今まで皐サイドから見て(聞いて)いた姉の姿も、逆サイドからの話を聞くと全く印象が変わるのが上手いなぁと思いました。徹底して相対化されて相容れない姉妹だからこそお互いが磨き合う関係性が面白かったです。
本当に全然違う姉妹で、こうしてみると柊が俺っ娘なのも納得ですね。お姉さんお姉さんしてないので相対化も受け入れやすいというか。満を持して描いた甲斐のある内容だったなと思います。
このはな綺譚 第11話「神様の休日」
©天乃咲哉・幻冬舎コミックス/このはな綺譚製作委員会



秋も終わりに近づいた此花亭。訪れた無口な客の正体は……? 解釈や見方次第で物事が変わってくるというのは本作が常々描いてきたことですが、今回はその多様な解釈を生む事実の豊かさにこそ焦点が当たっていたように感じました。櫻が「お得意様」である戦の神にしているのはただ一緒に遊ぶだけ、どころか遊んでもらっているだけですが、その事実はむしろ戦の神に何にも代えがたい大切な時間を与えてくれています。そこには確かにそれが櫻のお得意様への接客なのだと「解釈」させるものがある。また蓮のお得意様と聞いて柚はさぞかし綺麗な女性だろうと想像するのですが、会ってみれば女装した芸能の神様。けれどその化粧と着付けの良さは確かに蓮が自分のお得意様と考えるだろうと「解釈できる」必要条件を揃えている。素敵な解釈ができるのは何よりまず、そこに確かな核があるからこそです。女将の化粧がギャグになったり芸能の神の連れと誤認されるのも、あまりの変貌ぶりと神様に並べる貫禄があればこそなわけで。
最たるものとして描かれるのが後半のお菊のお話であり、彼女はリリィという捨てられた人形を拾い自分と同じような存在として迎え入れようとしますが、核となる捨てられた事実は同じでも2人の経緯や人間への思いといった「解釈」は一致しません。リリィの傷だらけの体をお菊は酷い目に合わされたのだと「解釈」するけれど、実際はそれは持ち主がたくさん遊んだ証拠。リリィの前でお菊は此花亭の皆が自分の下僕のようなものという「解釈」を披露するけれど、実際は彼女達はホイホイお願いを聞いてくれるわけではない。解釈がいつも事態を良い方向に導いてくれるわけではない――けれどそれは逆に言えば、解釈が良い方向に裏切られることもあるということです。リリィが捨てられたのは持ち主の母親からであって持ち主からではなかったように。邪険に扱われたお菊の服作りのお願いが、実は振り袖作りという別の形で果たされていたり。捨てられた、断られたという事実は動かずともそこには別の形に「解釈」できる余地が残されていて、世界は残酷な時もある一方でとても優しい姿も見せてくれます。それこそ「遊んでもらえなかった」という事実すらそのまま、お菊の心を救ってあげられるほどに。居場所は再び別れても共に幸せを得る2人の人形の姿に、現し世とあの世を巡る人の物語とはまた違った交錯を見たように思えた回でした。
関連:
このはな綺譚 感想リスト
このはな綺譚 第1話「さくやこのはな」
このはな綺譚 第2話「春の旅路」
このはな綺譚 第3話「恋待ち焦がれ」
このはな綺譚 第4話「夢の浮き橋」
このはな綺譚 第5話「梅雨送りし」
このはな綺譚 第6話「此花亭怪談」
このはな綺譚 第7話「夏祭りの夜」
このはな綺譚 第8話「かりそめの訪客」
このはな綺譚 第9話「泡沫の…」
このはな綺譚 第10話「姉上襲来」

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