「仲間」を求めて――「クジラの子らは砂上に歌う」12話感想
- CATEGORY: Wisp-Blog
- TAG: アニメ_2017年秋アニメ

露骨に疲労しとる(;´Д`) 仕事納めまであと2日……
クジラの子らは砂上に歌う 第12話(最終回)「ここに生まれてよかった」
© 梅田阿比(月刊ミステリーボニータ)/「クジラの子らは砂上に歌う」製作委員会



オウニの制止によってひとまず収まった印達の疑念。一方、短命の理由を知ったスオウのとる道は……
舵を切って進む泥クジラの上で、スオウはオウニに「共に仲間を作りましょう」と誘います。仲間――最後の騒動となりかけたシコンとシコクの双子にしても、決起集会を起こしたのは「仲間」を欲したからでした。しかしそれは印である事でしか加われない、出自と能力によって閉じられた共同体です。それは帝国が心を保持するためのヌースの肉サルクスを三親等という血縁関係のみに許し、違反するアツァリやオルカも自分の一族や妻といった家族親族にのみ与えるのとさほど変わりません。ひいてはオウニと同じく「気味の悪いアウラ」を持つシュアンが、マソオの死に涙を流さない彼にどこか親しげな言葉をかけたのも同様でしょう。双子の騒動は、泥クジラという共同体(仲間)はそこで生まれただけで成り立つものなのかという疑問を投げかけました。
けれどそうではない。オウニはシュアンと自分が違うものだとする一方、真実を知ろうが知るまいが印も無印も泥クジラの全員のために戦って死んでいったのだと――「仲間」だと語ります。ロハリトもまた、所属する国は異なりながらスオウに指導者「仲間」としてのアドバイスをする。そういう絆は出自や能力、あるいは利害関係で結ばれるものではない。それをこそ探して、泥クジラの人々は旅に出ます。今度は無印の長老会の指示にただ従うのではなく、印のみがコカロに働きかけて舵を切るのでもない。共に手を繋ぎ歌い踊り、泥クジラを外の世界へと運んでゆく。故郷を捨て短命になってでも泥クジラにいたいと願うリコスと、外から来た彼女を受け入れ自分達は「泥クジラの子」だと語るチャクロこそはそのもっともミクロな形なのでしょう。
残酷な世界と溢れずにはおられない情動を、それでも前を向いて詩にしたような。そんな印象を受けた作品でした。スタッフの皆様、お疲れ様でした。
関連:
クジラの子らは砂上に歌う 感想リスト
クジラの子らは砂上に歌う 第1話「私たちの大事な世界の全てだった」
クジラの子らは砂上に歌う 第2話「鯨(ファレナ)の罪人たち」
クジラの子らは砂上に歌う 第3話「こんな世界は、もうどうでもいい」
クジラの子らは砂上に歌う 第4話「泥クジラと共に砂に召されるのだよ」
クジラの子らは砂上に歌う 第5話「逃げるのはイヤだ」
クジラの子らは砂上に歌う 第6話「明日、人を殺してしまうかもしれない」
クジラの子らは砂上に歌う 第7話「お前たちの未来が見たい」
クジラの子らは砂上に歌う 第8話「この世から消えてしまえ」
クジラの子らは砂上に歌う 第9話「君の選択の、その先が見たい」
クジラの子らは砂上に歌う 第10話「新しい旅に出るわ」
クジラの子らは砂上に歌う 第11話「夢の話だ」

にほんブログ村
【言及】
https://tiwaha.blog.fc2.com/blog-entry-230.html
http://puchimaru2.blog.fc2.com/blog-entry-4040.html
http://shirokurousagi.sblo.jp/article/181933191.html
http://guutaranikki.blog4.fc2.com/blog-entry-14712.html
http://koisananime.com/now/2017/12/kjsn-12.php
http://sigerublog.txt-nifty.com/utakata/2017/12/post-32e8.html