並び立つ「個」――「劇場版マクロスΔ 激情のワルキューレ」感想

画像は僕の好みです。
劇場版マクロスΔ 激情のワルキューレ
(C)2017 ビックウエスト/劇場版マクロスデルタ製作委員会
マクロスΔ(デルタ)の改・構成版、「劇場版マクロスΔ 激情のワルキューレ」を視聴。TV版は「全体から個への解放」を強く感じたのですが、今回は「異なる個が手を取り合う」ということを感じました。
TV版からの改変で1番分かりやすいのはメッサーがキースに敗れるのではなく打ち勝った上で息絶える所ですが、これって彼やカナメにとって比較的報われる結末というだけではないのですよね。メッサーが最後にカナメの近くに行けたからこそ彼の機体はワルキューレと共にウィンダミアに回収されたわけで。劇場版では彼がTV版と「異なる」結末を迎えたからこそ、メッサー機とハヤテという本来「異なる」個が結びつく結果が生まれました。そして乗り換え時にハヤテが写真を見てメッサーの意思を受け継ぐと決意することで、生死を超えて2人の異なる個もまた結びつきます。
こうした結びつきは何もΔ小隊やワルキューレ内に限ったものではなく、ケイオスとウィンダミアにしても同様です。劇場版新登場となる「VF-31Jジークフリード リル・ドラケン装備型」は味方側の機体に敵の装備を、「Sv-262BaドラケンⅢ ミラージュ機」は敵の機体に味方側の識別(カラー)を付けたものであり、即ち敵味方という「異なる個」が重なり合った存在なのですから。そんな両機がコンビを組んで戦う姿は、今回も全体で個を塗りつぶそうとするロイドに両勢力が協力するのを象徴しているように感じられました。そしてラスト、メッサーの死を悼むシーンは同時に敵でも味方でも犠牲者が出れば負け戦なのだと捉えるシーンとして塗り替えられ、そこでもまた両陣営という異なる個が結び付けられています。
ここまでの文脈に沿って考えるなら、この劇場版がワルキューレを中心としてハヤテが脇役レベルまで存在感を下降させているのは、おそらくフレイアを中心にワルキューレという5人組の「異なる個」の結びつきを描くためなのかな、と思います。もちろんそれらはけしてバラバラというわけではなく、メッサーの機体に乗ってきたハヤテを見てのカナメとフレイアのやりとりなどを通して結びついている。
TV版と劇場版、どちらが好きか?と聞かれれば僕はTV版を挙げます。マクロス伝統の野暮ツッコミ「歌は兵器」の象徴として製造された美雲がそこから解き放たれたあの意義深さは彼女が一度絶望したTV版にこそあると思いますので。少なくともこの劇場版がTV版から余計な要素を削ぎ取ったものだとは捉えていません。ただ、それはどちらが上とか下とかそういったことでもないのでしょう。だってマクロスというのは初代からして、TV版と劇場版という「異なる個」がどちらを否定することもなく手を取り合って作品を支えたものなのですから。本作がTV版では恋の決着までを描いた一方で劇場版では恋が始まりきらない(萌芽はあるが)ままで終わり、しかしどちらでもハヤテ達3人がけして険悪な関係にはなっていないことからもそれは言えるように思います。
TV版とは違った印象を受けるにも関わらず視聴にはTV版の知識での補完が求められる点だけはネックですが、こちらもまたシリーズにおいて意義深い作品でした。新企画も行われているということで、マクロスが次に何を見せてくれるのか楽しみに待ちたいと思います。
マクロスΔを見に劇場到着ー。レイナ推しの僕、見事に引き当てガッツポーズ。#マクロス; pic.twitter.com/mSrKFmOhq4
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2018年2月10日
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