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道を作る意味――「ダーリン・イン・ザ・フランキス」21話感想


 目的(結果)がなんだったとしても、その過程のおかげで現在があるから。



ダーリン・イン・ザ・フランキス 第21話「大好きなあなたのために」
©ダーリン・イン・ザ・フランキス製作委員会
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 「ダーリン・イン・ザ・フランキス」(ダリフラ)21話を視聴。前回は「過程」と「結果」を中心に感想を書きましたが、今回もそれに大きな意味合いを持たせつつ、敗北で終わるお話であったように感じました。

 この21話では、多くのキャラクターが「道」を作っていました。崩落した道に穴を空けるイクノとフトシが象徴的ですが、ヒロだって爆発までの猶予という道を作ったのだし、フランクス博士や001の叫竜もまたその身を挺してゼロツーを送り届けている。道とはすなわち「過程」です。
 例え勝利という結果を手にしたとしても、そこには必要な過程というものがある。13部隊の皆にとって必要なのは「誰も死なない」という過程です。だから死を覚悟したココロの残留は単独では認められない。それを防ぐためにこそ、過程を得るためにこそ、ミクとゾロメもまた共に残るのです。「ここは俺に任せて先に行け」という定番のシチュエーションは、つまり仲間のための道、過程を作るものでした。
 もっとも、「道を作る」という意味では9`sの大暴れも結果的に陽動になりイチゴ達の道を作ったわけですが、彼らのそれは姿勢として相容れない(過程が一致しない)から感謝に繋がることがありません。何とも難しいものです。

 勝利という結果のために生物としての性質すら失った叫竜をヒロは「以前の自分と同じ」と語り、かつてのそれを否定します。戦うという結果のために生きる過程を使うのではなく、生きるという過程のために戦うこともまた過程にしてしまう。きっと、その過程こそを「人間らしさ」と呼ぶのでしょう。
 だから、ストレリチア・アパスを奪還したとしても、VIRMを撃退したとしても、その結果だけではヒロ達の勝利にはなりません。「ゼロツーも生きた上で」という過程が伴わなければ、条件は満たされない。果たして、それは叶うのでしょうか。

関連:
ダーリン・イン・ザ・フランキス 感想リスト

ダーリン・イン・ザ・フランキス 第1話「独りとヒトリ」
ダーリン・イン・ザ・フランキス 第2話「繋がるということ」
ダーリン・イン・ザ・フランキス 第3話「戦う人形」
ダーリン・イン・ザ・フランキス 第4話「フラップ・フラップ」
ダーリン・イン・ザ・フランキス 第5話「キミの棘、ボクのしるし」
ダーリン・イン・ザ・フランキス 第6話「ダーリン・イン・ザ・フランクス」
ダーリン・イン・ザ・フランキス 第7話「流星モラトリアム」
ダーリン・イン・ザ・フランキス 第8話「男の子×女の子」 *更新お休みのため欠番
ダーリン・イン・ザ・フランキス 第9話「トライアングル・ボム」
ダーリン・イン・ザ・フランキス 第10話「永遠の街」
ダーリン・イン・ザ・フランキス 第11話「パートナーシャッフル」
ダーリン・イン・ザ・フランキス 第12話「ガーデン/始まりの庭」
ダーリン・イン・ザ・フランキス 第13話「まものと王子様」
ダーリン・イン・ザ・フランキス 第14話「罪と告白」
ダーリン・イン・ザ・フランキス 第15話「比翼の鳥」
ダーリン・イン・ザ・フランキス 第16話「ぼくたちの日々」
ダーリン・イン・ザ・フランキス 第17話「楽園」
ダーリン・イン・ザ・フランキス 第18話「桜の花が咲く頃に」
ダーリン・イン・ザ・フランキス 第19話「人ならざるモノたち」
ダーリン・イン・ザ・フランキス 第20話「新しい世界」

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