サーカスに必要なのは道化と、そして――「からくりサーカス」2話感想
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個人的にはグリモルディよりプルチネルラの方が好き。
からくりサーカス 第2話「約束」
©藤田和日郎・小学館 / ツインエンジン



「からくりサーカス」2話を視聴。1話は鳴海としろがねという2つのサーカス、2人の道化の姿を見ることができましたが、この2話は勝が2人に与える影響を描くことでサーカスに欠かせないもう1つのものが浮かび上がっていたように思います。
前回も何度か失敗したように、鳴海は人を笑わせるのが上手ではありません。けれどそんな彼にとって勝は1番笑わせたくなり、また笑ってくれる存在です。それは他人が笑顔でないと人としての機能を全うできなくなるゾナハ病を患う鳴海自身にとって、なくてはならないもの。
前回も何度か失敗したように、しろがねは守るということが必ずしも得意ではありません。けれどそんな彼女にとって勝は1番守りたくて、また1番頼ってくれる(守らせてくれる、と言っていいものか)存在です。それはほとんど笑わず羞恥も無く人としてのぎこちなさを持つしろがねにとって、鳴海が見惚れるほどの笑顔を自然に取り戻させるもの。
道化である2人にとって、勝は言わば観客。サーカスは道化がいなければ開けませんが、観客がいなければ開く意味がない。観客もまたサーカスには欠かせない、道化にとって「自分のため」の存在であり、それに喜んでもらうために道化はいかにおかしな行為だってしてみせるのです。発作に苦しむ鳴海が通報ものの行為に走ったように。依頼主(=観客)に金を積まれれば阿紫花が子供ですら殺そうとするように。……元は1つの「サーカス」だった彼の一族が2人の観客のために分かれて争いすらするように。
怖いのに「そうしたいから」と体を張ったように、勝という観客のために鳴海としろがねはたった2人ででも勝を助けに行くでしょう。その道化芝居が勝に届くには、どれだけの無茶が必要になるのでしょうね?

以上が今回の話から僕が受け取った「筋」の話。以下はごく私的なお話です。
鳴海の「昔は心身ともに弱かったけど今は強くなった」という今回の部分、個人的には見るとどうも胸がざわつきます。強さとは最初からあるものとは限らないという体現であり、それが勝、ひいては自分の弱さに苦しむ読者視聴者を勇気づけるものであるというのを認識した上で、なお。
鳴海は好漢を絵に描いたようなキャラクターであり勝が憧れるのも当然なわけですが、「そんな彼も昔はすごく弱かったんだ」となると「弱い奴はみんな鳴海を目指すべき」と言われているような感覚に陥って、それがとても苦しいのです。僕のこれまでの人生は、鳴海のようにはなれない自分を受け入れて、そういう自分を諦めるのではなく肯定できるように、自分なりに強くなれるように多大な時間を費やした(ている)ようなものなので…… もちろん本作における強い人間は鳴海1人ではないし、「鳴海兄ちゃんみたく」と問う勝に鳴海が「俺みたいに」ではなく「俺よか 強くなれるぜ!」と返す部分でもそれは描かれているとは思うのですが。鳴海兄ちゃんがあんまりにも格好いいから、今の彼になるまでに逆に失われたであろう部分に自分に近いものも含まれているようで、そしてそれが否定されているようで苦しいのです。
続く「月光条例」の「それでもガマンだ」を読んだ当時、うつ病の人に頑張れと言ってるようにしか見えなくて作品が自分の中で色あせてしまったのですが、それと近い感覚なのかなあ……
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