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認識は戦いの始まり――「GODZILLA 星を喰う者」感想


 独自ルートを突っ走る。



GODZILLA 星を喰う者
©2018 TOHO CO., LTD.

 「GODZILLA 星を喰う者」を視聴。残念ながらよく分からなかったのですが、描き方にはこの第三章には通底するものがあるのではないかな、と思いました。それは「認識することは戦いの始まりである」ということです。

 メトフィエスは信仰を広めるためにメカゴジラに食われたか否か運命であるという奇跡を謳いますが、それがフツアの治療を受けたかどうかで決まっていることを認識したハルオやマーティンは不信感を抱きます。
 彼は様々なことを隠していました。自分達はテレパスが使えること、姥捨山同然の宇宙船に爆弾を仕込んだこと、ギドラがエクシフの星を滅ぼしたのは事実だがむしろ彼らが望んだものであったこと。それらを認識される度、メトフィエスは「敵」になっていく。
 姿を表したギドラにしても、視覚以外のあらゆる形での認識を受け付けないことこそはその強さの秘密であり、メトフィエスが代わりにこの世界を見ているというロジックが「認識」されこの世界の物理法則に捕まるようになればゴジラの敵ではありませんでした。

 認識は戦いの始まり――思えばこれまでの話はハルオに様々なことを認識させるものでした。ゴジラを打ち破ることが人間の尊厳を取り戻すことだという認識あればこそ彼は果敢に戦ったし、それがイコールではないという認識を持てば彼の中で葛藤という戦いが起こる。そしてこの第三章で彼は、自分の持つような怒りや憎しみがギドラ(滅亡)を呼び起こす元の1つであることを認識し、最後にはそれと戦いました。


 勝つことは命をつなぐことである、とフツアの民は言います。命をつなぐということは単に個体が生き延びることを意味しません。子をなしその系譜を続けていくこと。ならば人類を前座としてゴジラが生まれたこともまた、命をつなぐことなのではないでしょうか。滅びの道を選んだエクシフもまた、それを他の種族に広めることで命をつないでいたとも言えるのかもしれません。
 けれど人はなんとなれば負け戦に臨むこともできる、とハルオは言います。それは人であれば「命をつながない」という選択もまた可能であるということ。ハルオは自らの遺伝子をマイナとの間に残して命をつなぐ一方、自分がいなくなることで怒りや憎しみという部分での命を繋ぐことを断ち切ります。ゴジラを倒すことが人の尊厳を取り戻すことではないと認識した彼は、人だけが取り得る選択肢を以てその戦いを終えたのでした。

 そういう具合で自分の中で筋をつなげてみたのですが、このハルオの断ち切ったものを自分の中にどう溶かし込んだらいいのかがこれでは不十分なのです。復讐の連鎖や因習といったものを断ち切る勇気なのか、人間が人間である以上捨てられないものの限界なのか、それとももっと大きなものなのか――それがどうにも自分の中に上手く座ってくれない。
 ただ、ハルオが自分の名前に「春」が含まれていることやそれがどんなものなのかを認識し、それを守るために戦おうとしたのはとても美しい姿だったのではないかなと思います。スタッフの皆様、お疲れ様でした。


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