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道化は挫折より出ずる――「からくりサーカス」7話感想


 黒のヴィルマとホワイトフェイス。



からくりサーカス 第7話「Demonic」
©藤田和日郎・小学館 / ツインエンジン
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 「からくりサーカス」7話を視聴。今回は鳴海と勝の両サイドを描いたお話でしたが、描き方として一貫していたのは「挫折が道化を生む」ということだったように思います。

 鳴海は病院の外、つまり子供たちと隔絶された舞台に上がって悪魔のように戦いますが、その理由は自分が子供達に何もできなかったという挫折によるものでした(その痛みの何百分の一でも味わわなければ、という思いは筋肉によるスパイク留めという芸を生む)。同時にその戦いは、子供達を怖がらせてしまうという「皆を感動させ、笑顔にしてくれるサーカス」としての挫折をも生みます。その挫折あればこそ鳴海は仮面をかぶり、しろがねという「人々を恐怖のどん底に突き落とす、もう1つのサーカス」の道化となることを決意する。

 かつてヴィルマは、瀕死のジムとのナイフ投げショーでナイフを外してしまいました。それはやはり「皆を感動させ、笑顔にしてくれるサーカス」としての挫折であり、ゆえに彼女は殺し屋という 「人々を恐怖のどん底に突き落とす、もう1つのサーカス」にその身を落としました。しかし同時に、挫折は彼女を救いもしています。「ごめん、また外しちゃった」……殺し屋ヴィルマの最後に投げたナイフはやはりターゲットに刺さらず、ヴィルマを挫折させます。そしてそこで挫折したからこそ、彼女は再び「皆を感動させ、笑顔にしてくれるサーカス」、仲町サーカスの道化となる道を選ぶことができたのですから。

 挫折はただそこで終わるものではなく、後に繋がる糧にもなる。鳴海の腕から折れた聖ジョルジュの剣はアンゼルムスへの反撃となるし、ヴィルマとしろがねは共に大切な人がゾナハ病で苦しんだことで共感を抱いた。子供達もまた、恐れたり苦しんだり見誤った挫折から自らも舞台に上がろうとします。病院から抜け出し鳴海に感謝を伝えるトム。病に倒れようとも姉と共に舞台の上にあろうとしたジム。自らも強くなり前に出ようとした勝。

 初対面でしろがねがヴィルマの過去を見抜いたように、サーカスを知る者はサーカスを知る。この7話では鳴海と勝の2つのサーカスを描くことで、両者が循環し得るものであることが描き出されていたように感じました。本来なら章をまたぐことで隠れてしまいがちな対比が見えるこの作りは、とても面白いものだと思います。

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 出番が少なくとも圧倒的なリーゼのかわいさ。しろがねとヴィルマがボン・キュッ・ボンと擬音がつきそうな体型なのでこれもまた対比として際立ちますね(強引)

関連:
うしおととら(アニメ・原作漫画・小説) 感想リスト

からくりサーカス 感想リスト

からくりサーカス 第1話「開幕ベル」
からくりサーカス 第2話「約束」
からくりサーカス 第3話「奈落」
からくりサーカス 第4話「コラン」
からくりサーカス 第5話「サーカス〜出発」
からくりサーカス 第6話「地獄」

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