ブロリーを育てるのは1人じゃない――「ドラゴンボール超 ブロリー」感想

そして、終わらない。
ドラゴンボール超 ブロリー
© バードスタジオ/集英社 © 「2018ドラゴンボール超」製作委員会
「ドラゴンボール超 ブロリー」を視聴。「育むという行為は双方向に行われる」……そんな物語であったように感じました。
本作で再度描かれる過去は、一方的な押し付けの繰り返しです。フリーザはサイヤ人に隷属を強い、虐げられるベジータ王は自分もパラガスの子供を過酷な星パタパに飛ばす非道を行う。そしてその行為に親として憤ったパラガスですら、協力的だったビーツを生存のために殺しブロリーを復讐の道具にする。描かれているのは人間性を殺されたものが更に他者の人間性を殺すという地獄絵図なわけです。結果、ブロリーは純粋な精神を持ちながらもそれを妨げられていました。
一方向に対するのはもちろん双方向であり、本作はそれが描く幸せに満ちています。父親しか描かれない他の2人と違い、悟空はバーダックとギネから双方向の愛情を受けて送り出されました。レッドリボン軍総帥をほうふつとさせるフリーザの卑小な願いはブルマの私的な願いによって微笑ましく変わる。単独ではレモからクズ呼ばわりされたチライはブロリーとの触れ合いでとても面倒見の良い女性となるし、血縁のないチライとレモが2人でブロリーに接することでブロリーの人間性はパラガスだけの時より育まれていく。
フリーザの悪巧みによって起きた本作の戦いは、ブロリーの閉じ込められていたものを解き放つものであると同時に、彼がどう成長するかというせめぎ合いです。道具になるか?戦闘狂になるか?穏やかな心優しい青年になるか? ゴジータの最後の大技が当たらなかったように、その答えは本作では可能性のままとされます。つまりそれは、育む余地がまだあるということ。成長の余地があるということ。そして、それに終わりはないということ。
これからもブロリーはチライ、悟空、フリーザ達とそれぞれ影響しあって成長していくでしょうし、おそらくそのどれか1つに染まることはないでしょう。他ならぬ主人公自身が戦いと平和の両方を愛し、「悟空」と「カカロット」のせめぎ合いの中で生きているのですから。それは一方向で育まれない、とても健全なものなのです。
それにしても本作、多くのキャラにかわいげがあって素晴らしいです。帰ってきたバーダックがギネと再会した時の尻尾の振り方とかこっそり喜びがバレバレだし、チライは現在の鳥山明の絵柄でのセクシーさと愛情深さがあいまってとてもキュートだし。うーん、ドラゴンボールには魅力的な女性キャラがたくさんいますが、ここまでキュンとしたのはビーデルさん以来かもしれない。
終わりのない成長はつまり本作の終わらない物語性。ブロリーの成長のせめぎ合いはつまり戦いであり本作の永遠のテーマ。ドラゴンボールの魅力がブロリーにたっぷり詰め込まれた、とても心の通った作品であったと思います。バトルシーンも派手な上にサプライズやリスペクトが随所に見られ、大満足の視聴時間でした。
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