百から一へ、一から百へ――「どろろ」2話感想
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喋らねど。
どろろ 第2話「万代の巻」
どろろ ©手塚プロダクション/ツインエンジン

「どろろ」2話を視聴。万代を倒した百鬼丸にどろろは「見えてなかったのはおいらだった」と自分を否定する。それは半分正解で、半分間違いだ。#どろろ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年1月16日
百鬼丸は容易く魚を捕らえられる一方、火を起こすことはできない。中身しか見えないという琵琶丸は万代に惑わされないが、彼女がどろろの母に似ていることは見えない。魂の炎が見えることは、けして他者より格の上がる違いではないのだ。#どろろ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年1月16日
見えるものの違いとは畢竟、個々人の世界への感じ方、世界へのアプローチの仕方、歩く道の違いなのだ。そして道は思わぬところで繋がっている。#どろろ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年1月16日
貧しい村に住む伝吉達にとって鬼神・万代の存在は絶望への道に思えたが、意外なことにそれは独力では不可能な稼ぎの道に繋がっていた。しかしそれは同時に、化物以下の所業への道でもあった。#どろろ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年1月16日
人は同じ道を歩いても同じ場所にたどり着くとは限らない。同じように百鬼丸を見ても、どろろは琵琶丸や万代と違って彼が何者か知る由もない。異変や天災地変を見て鬼神に何かあったのではと考える者は景光以外にいない。#どろろ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年1月16日
しかし一方で人は、違う道を歩いても同じようなものにたどり着くこともある。どろろの考える理由と違っても百鬼丸はどろろを追い払わない。声が出せずとも文字で名前は伝えられる。文字が見えなくとも、手で触れればそれが何を記しているのか理解できる。#どろろ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年1月16日
ジョジョ5部アニメ12話で「人と違う世界に生きる自分を他者から遠ざけるフーゴ」がクリティカルヒットした僕ですが、本作もそれに通じるものを感じられそうな気がしてきました。うん、好きだなあ今回の話……#どろろ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年1月16日
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