救えぬもの、救われぬもの――「どろろ」3話感想
- CATEGORY: Wisp-Blog
- TAG: アニメ_2019年冬アニメ

寿海さん涙流しまくってるのがとても良い。みっともないのではなく、それが彼に許された数少ないことなのだと思う。
どろろ 第3話「寿海の巻」
どろろ ©手塚プロダクション/ツインエンジン

「どろろ」3話を視聴。「生かされる」という言葉は2通りの解釈ができる。1つは他者の恩恵によって命を繋いでいるという意味での「生かされる」。もう1つは、死ぬことを許されないという意味での「生かされる」。#どろろ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年1月23日
妖とは人を食らうだけではなく、人智を超えた力で人に恩恵を与え代償に何かを奪っていくこともあると寿海は言う。彼の義肢の技術は人智を超えている。鬼神相手ではなくとも、それは代償を求められるに値する力だ。#どろろ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年1月23日
崖から落ち、あるいは滑っても彼は死ななかった。カナメに命を奪われても構わないつもりだったが、親子との約束はその結末を迎えさせなかった。しかしそれがただ喜びに繋がるものでないことは、カナメとの別れから見える通り。寿海は代償に、安楽な「死」を奪われている。#どろろ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年1月23日
おぞましいほどべっとりとした色彩から始まる過去は、自分の所業に「目を覆った」寿海が身投げした後で色彩を半ば失う。単に過去だから色が無いのではない。痛みを認識したことで寿海の世界は彩りを失ってしまったのだ。#どろろ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年1月23日
(多宝丸の過去もモノクロなのは、百鬼丸の不在がもたらす微妙な翳によるものか?)#どろろ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年1月23日
痛みを知ることで寿海の世界は色を失った。しかし百鬼丸にとって、痛みを知ることは世界を鮮やかにすることだ。時の戻った色のある世界で、百鬼丸は初めて味わう感覚に戸惑い、それを刻み込もうとする。#どろろ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年1月23日
カナメは右の義足を杖に変えて寿海の許を去った。百鬼丸は右の義足を生身の足に変えて寿海の許を去った。「貴方は俺を救えない」というカナメの言葉は、寿海の胸の内で時を越えてリフレインしただろう。#どろろ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年1月23日
その別れが苦しかろうが喜びを含もうが、カナメも百鬼丸も、色彩を持ちうる寿海の愛する者は彼の手を離れてどこかへ行く。しかし「わしはどこへも行けぬ」。寿海は行けない。極楽にも地獄にも行けない。彼の姿は、雨に埋もれて遠くなっていく。#どろろ
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年1月23日
関連:
どろろ 感想リスト
どろろ 第1話 「醍醐の巻」
どろろ 第2話 「万代の巻」

にほんブログ村
【言及】
http://koisananime.com/now/2019/01/drr-3.php