絡繰ること、共有すること――「からくりサーカス」16話感想
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からくりサーカス 第16話「出会い」
©藤田和日郎・小学館 / ツインエンジン



「からくりサーカス」16話を視聴。これまでアクア・ウイタエは主に他者を自分に変えてしまう手段として描かれてきたわけですが、それが変わってくる回であったように思います。冒頭からして、(しろがねであったことが今回分かる)正二は勝に自分の記憶が溶け込んだ血を飲ませるわけですが、それは相手を自分と同じ存在に変えるためではなく自分の経験を思い知らせるためのものなのですから。
正二は白銀を「先生」と呼び様々なものを教わったわけですが、その関係はけして一方的なものではありませんでした。正二に教わった「しろがね」という呼び方を白銀はとても気に入っていたし、一度は諦めた人形であったあるるかんは2人で作ったもの。単純な師弟関係であれば継承であり、それはともすればしろがね的な他者を自分に変える行為、操る行為――「絡繰る」ものになりかねない危険を孕んでいますが、これはむしろ共有と呼んだ方が似つかわしい。
絡繰ることと共有することには一つ、明白な違いがあります。貞義が暗躍したように絡繰るには自分を見せない必要があるのに対し、共有するには逆に自分を見せる必要がある。自分が何を経験したのか、何を感じたのか吐き出す必要がある。それを受け止めてくれる相手というのは、どれだけ望んだって得られるとは限らないものです。遠野太夫とは、道を探すことに疲れたアンジェリーナが自分を見せないための防壁そのものなのでしょう。しかし一面で、彼女は永遠の命を得たらどうするかと聞かずにはおられなかった。自分を見せられる相手を求めずにはおられなかったのです。そして医術に対する見識や作り笑顔とその洞察など、正二とアンジェリーナのやりとりには初めから断片的な共有が行われていました。
自分を見せることは怖いもの、見せたからと言って報われるとは限らぬもの。アンジェリーナは冷静にではなく情動で押し切る形で自分を見せ、その度に相手の変化に怯えます。それはつまり、自分自身も変わっているということです。絡繰ることでは自分は変わらない。相手が受け止めてくれるか否かを問わず、共有することは自分と他人(相手)の両方を変えることであり、そしてその変化は共有したもの自体すら変化させます。母に冷たく追放された過去は、共有によってむしろ思いやられてのものに変化しました。相手のためなら自分がどうなっても構わないという思いは、共有によって同じ道を生きたいという思いに変化しました。他者を自分に変えてしまう呪わしいアクア・ウイタエは、思いと過去を共有するための手段に変わりました。
さて、正二の過去を勝はまだまだ共有していきます。それは勝にどんな変化を与え、そして勝は自分を正二に共有してもらえるのでしょうか?
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