十把一絡げの罪悪――「ゲゲゲの鬼太郎(6期)」55話感想
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今回はほぼ不満しか書いていません。ご注意ください。
ゲゲゲの鬼太郎(6期) 第55話「狒々のハラスメント地獄」
©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション




「ゲゲゲの鬼太郎」6期55話を視聴。いつもと違う書き方になりますが、正直なところ今回の話は好きではありません。
問題というのは1つだけが目に見える時と、複数のものが見える時で感じ方が違うものです。例えばエンジョイハラスメントはオードリーの若林正恭が個人的に呼んでいるものから広まったようで、「楽しむことを強要するハラスメント」を指します。仕事は楽しいと思ってやるべきだ、会社に行きたくないなんて思うべきではない……という意見への反発から生まれたもので、内容としてはそれ単独で描いても成立するものだと思います。例えば人を無理やり笑顔にしてしまうような妖怪が暴れて、みんなニコニコしながら疲弊して……とか。けれど今回の話では数あるハラスメントと一緒に流されてしまう。他のそれぞれだって深刻に悩んでいる人はいるはずですが、全ては十把一絡げにされてしまう。その時、個々の問題の重大性は限りなく薄められています。
「エンジョイハラスメント」が話題に......「仕事は楽しんでやらなきゃ」は価値観の強要か?(トレンドニュース)
加えて、それらを糾弾するのは全てマスコミという名の顔のない面々です。ハラスメントに悩んでいる個人の姿はなく(あっても「イケメン無罪」や「豹変した選手」といった形)、まるでそれらを言い立てることが悪かのような感覚がお話の中にはある。なせか? それがギャグ・テイストで描かれているからです。十把一絡げでコミカルに描かれることでこれらは「くだらないことに立腹している」かのようになっているのです。そして年金不正受給、(公)文書改ざん、偽装工事と(この3つ個々すら)全く別のことを並べ立てることで場面は更にコミカルに、更に薄く、更に全てがくだらないことのように描かれている。
そして今回は狒々の手法を受け入れる終わりにしない一方、それをただの古さとし切り捨てはしません。また狒々に指導を受けた優美もいささか問題のある少女として描いています。これは一件公平な目線に見えますが、そうではありません。なぜなら今回の話は基本的に「悪気のない」狒々の目線で描かれており、視聴者は自然と彼に同情するように誘導されているからです。今回の「どっちもどっち」はハラスメントを言い立てる側の言い分をギャグにする形で行われているのであって、狒々のやり方は古いとされつつも「自分を貫く」という言い方で巧妙に保護されているのです。狒々の言う根性は優子に別の形で伝わっているというのも、彼のやり方に一片の正しさを与える方便として機能している。
狒々が懐かしむパワハラやセクハラのなかった頃というのは本当は、パワハラやセクハラが認知されなかった時代でしかありません。言えず、あるいは言ってもくだらないことだと切って捨てられて悩んだ人が「見えなかった」時代でしかありません。そう、妖怪のように。
悩みや不満を言い立てることで「上の人間が生きづらい」世の中になっている。だから上の人を悩ますような物言いをするのは我慢しよう……そんな風に思うことはないと思います。もし今回揶揄されたようなことで悩んでいる人がいたら、僕はそれを応援したい。そして僕自身、(公)文書改ざんがくだらないことだとは思えない。国の出す書類まで後から気ままに書き換えられるようになったら、もう何を信用したらいいのでしょう?
今回のような話こそ、ギャグでやるべきではなかったのではないか。お話は上手いし小野坂昌也のパワフルな演技はとても見事でしたが、この回自体は僕にとって6期で1番不満の残る回となりました。
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