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虎の皮を磨いた狐の末路――「ちいさな独裁者」感想

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 やぁっと見られたよ!



ちいさな独裁者
© 2017 - Filmgalerie 451, Alfama Films, Opus Film

 「ちいさな独裁者」を下高井戸シネマで視聴。作品を知った時は都内での上映はほとんど終わっていてどうしたものかと頭を抱えたのですが、幸運なことに6/1から上映する映画館がまだあったので見ることができました。
 「第二次世界大戦の集結直前、脱走したドイツ兵がナチス将校の軍服を見つけてなりすます。あれよあれよと不思議に物事は進んで……」というのがあらすじですが、これがフィクションではなく実話を元にしているというからたまりません。感想としてはパンフレットに掲載された大場正明さんの映画評「共犯関係の積み重ねから生まれる独裁者」の範囲を逸脱するものではありませんが(正に僕は虎の威を借る狐……)、出力してみたいと思います。

 二十歳になるやならずやの主人公ヴィリー・ヘロルトが軍服を見つけたのは全くの偶然で、初めから大それたことを企んでいたわけではありません。それを着て将校の口ぶりを真似る姿は「ごっこ遊び」であり、もし後しばらく誰にも出会わなかったら彼はそれを脱いでいたかもしれない。けれど彼は軍服を脱ぐ前に、規律を遵守する兵士であるフライタークに出会ってしまった。フライタークは上官を求めるタイプの人間であり、その意味で彼は虎の威を自分から望んでいる。
 その後にヘロルトが訪れた村の店主(軍人が好きではない)も、野戦憲兵の大尉も、脱走したヘロルトをかつて追い回したユンカー大尉も、ヘロルトのことをけして全面的に信用したわけではないにも関わらず、「彼を利用した方が自分に都合がいいから」「彼を信用したことにしても言い訳は立つから」という理由でヘロルトの怪しさを積極的に暴こうとしません。

 彼らはあくまで自分からヘロルト大尉という小狐の被った虎の皮をピカピカに磨き、自らもその威を借る狐となるというように自分本位に動いています。ごろつき兵士のキピンスキーに至っては初対面でヘロルトが偽物だと見抜いているにも関わらず、自分に役立つからとそれをおくびにも出しません。
 確かにヘロルトは軍服を着てちいさな独裁者として振る舞うわけですが、そこにはむしろ彼を周囲が積極的に利用している構図があります。しかし「支配者(独裁者)の利用者」という立ち位置は非常に危ういもので、気がつけば利用者はただの使役される者に成り下がっている。
 例えばヘロルトを利用して収容所の「穀潰しの脱走兵」を処刑することに成功した同警備隊長のシュッテはいつしかヘロルトに命令される存在になってしまう。例えば収容所が連合軍に爆破され権力を振るえる場がなくなっても、丈の長かった軍服を合わせてしまったヘロルトは将校を装い蛮行に走り、キピンスキーは「ヘロルト即決裁判所」で処刑されるという結末を迎えます。
 そこにあるのは、「偽の独裁者」ではなく、文字通り「ちいさな独裁者」がいかにして生まれ暴走していくかという話なのでしょう。小狐の虎の皮を磨いていたつもりの狐達は、いつしか本物の虎になっていたそれに喰い殺されてしまったのです。

 現在の日本政府は民主主義の下、選挙によって選ばれた代表によって運営されています。私達は彼らをコントロール、あるいは利用していると言ってもいいかもしれません。しかし本当にそうなのでしょうか。私達が一晩マシな小狐と侮り選んでやっているそれは、ひょっとすると既に虎になっているのではないか。そんなことを考えた作品でした。

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