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一視聴者の京アニ13年史(1)

<はじめに>
 これは「自分語り」です。人によっては哀悼の意が足りないと感じたり、また好きなものを否定されたと感じるかもしれません。そういうものであることを最初にお断りし、またお詫びいたします。



 更新をお休みして数日。この状況を重ねて見てしまった「この世界の片隅に」のレビューを書いて自分の中の気持ちを具体化できたのですが、同時にその形では表現しきれていないものがあると感じました。
 それは自分にとって京都アニメーション(以下、京アニ)とはどういう存在であるのだろう?ということ。そして、それを問うことは自分を問うことでもあります。ゆえにそういう、自分語りをしてみたいと思いました。


<ハルヒ以前>
 13年史としたのは2006年の「涼宮ハルヒの憂鬱」を境としたからなのだけど、もちろんそれ以前にも製作協力や動画・仕上などの形で僕は京アニの関わった作品を見ていたようだ。wikipediaの記述を見ると

「ドラえもん」(制作協力)
「はいぱーぽりす」(制作協力)
「覇王大系リューナイト」(制作協力)
「エスパー魔美」(動画・仕上担当)
「∀ガンダム」(背景担当)
などなど……

 個人的には、テレ東の映る地域に住み頻繁に行き来のあった祖父に頼んで録画してもらうほど好きだった「覇王大系リューナイト」にも関わっていたのが驚きだった。元請け以外も含めるなら、京アニの関わった作品を見たことのある人と言うのは相当に増えるように思う。
とは言え、こうした幼少期に見た作品では、京アニの名前を認識してはいなかった。


<ハルヒ(2006)〜日常(2011)>
 2006年頃、僕は人間関係でも進路関係でも行き詰まっており、なおかつ「自称硬派」オタクに分類されるような痛々しい存在だった。アニメも半ば軽蔑してほぼ見ず、かと言って脱オタもできない宙ぶらりん状態。そういう人間にも聞こえる程に「涼宮ハルヒの憂鬱」の起こしたムーヴメントは大きかったが、上記の状態の僕にはこの作品は救いとはならなかった。
 僕は美しい作画を見た時はそれそのものに感動するより、それがもたらすキャラの思いやドラマに感情を持っていかれる傾向にある。作画が悪くてもあまり気にならない利点はあるが、頑張ってきれいに描いてくれるアニメーターへの感謝が足りないのではないか、と常々思う。
僕にとってハルヒという作品は難解であり、それ故にその美のもたらすものに僕はたどり着けなかった。「踊ってみた」みたいなのも僕には無縁の話だった。
 それでもきれいな作品だとは思ったし、こんなふうに信頼を寄せられるスタジオがあるというのを知った。松岡由貴の演じるチャーミングな鶴屋先輩主役の「にょろーん ちゅるやさん」などWebアニメに新しい時代を感じたのも覚えている。

 また、「らき☆すた」のワチャワチャした感じはシンプルに楽しめた。眼鏡っ娘の上に「serial experiments lain」で知っていた清水香里の演じた田村ひよりがお気に入りだった。

※「もってけ!セーラーふく」をJAM Projectがカバーした「JAMがもってった!セーラーふく」はどうしてこうなったのか(褒め言葉)


 その後、どうにか就職でき引っ越した先ではtvkなどで多くのアニメが視聴できる環境だった。そういう状況で、僕は「アニメが好きな自分」を次第に肯定できるようになっていった。ヱヴァ破ならまだしも「けいおん!」の劇場版を見に行ったなど、これより数年前の僕が聞けば目を剥いただろう。
 とは言え、この当時の京アニを巡る熱狂からは僕はやはり外にいるままだった。クオリティが高いと言うことを美麗であるという意味にしか捉えていなかったし、それ以上にキャラにのめり込むということも無かったからだ。「けいおん!」に対しても当時のアニメの最新の基礎教養を学ぶような感覚が強く、「きれいに作られている」以上のものは感じなかった。「日常」の落ち着きと共に、僕の中でも京アニの存在感は薄れていく。

※そう言えば、「となりの801ちゃん」アニメ化中止騒ぎなんてものもあったな。


<氷菓(2012)〜甘城ブリリアントパーク(2014)>
 2012年頃から、僕はブログで主にアニメの感想を書くようになっていた。愚にもつかないことばかりを書いていたが、感想によって自分を表現できることは、感情の表現の下手な僕にとってはとても大きな意味を持ち始めていた。
 そんな折、「氷菓」の放送が始まった。苦味やスッキリしない結末が前面にでた作風は従来の京アニ作品より格段に好みに合い、神酒原さんの「もす!」やおパゲーヌスさんの「妄想詩人の手記」など、僕はあちこちの感想サイトを巡った。アニメを語る、あるいは人の語りを見ることの面白みを初めて知ったのはこの時だった。

 翌2013年に放送されたのが「中二病でも恋がしたい!」。当初はギャグアニメの類だと思っていた本作は、次第に恋やヒロイン・六花の家族に対する悩みを交えたシリアスな顔を見せていく。後半の六花からは中二病の偶像性が失われている、というような批判も見かけてそうかなあ、とも思ったが、「もす!」での最終回の感想を読んで、むしろ本作は六花が偶像性を再獲得するお話なのだと捉え直して感想を書いた。表層をなぞるだけでないアニメの見方が、初めてできたように感じられた。それは、僕の感想における最初のブレイクスルーだった。

 もっとも、その後僕にとって京アニ作品がいつも楽しかったわけではない。中二病の2期は当時の自分にはよく分からなかったし、「Free!」の1期最終話については他の学校に失礼だとずいぶん怒ったことも覚えている(2期はそれも包括した内容になっていて丸め込まれた。また「ハイ☆スピード」では「イマワノキワ」のコバヤシさんの感想に圧倒された)。「たまこラブストーリー」には随分感動してブルーレイも買ったけれど、他の作品と合わせれば自分の中での打率は五分と言ったところだった。

 なお京アニ作品で一番扇情的なのはくみん先輩だと思う。

関連:
一視聴者の京アニ13年史(2)
一視聴者の京アニ13年史(3)


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