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己の地獄を見よ――「ゲゲゲの鬼太郎(6期)」68話感想


 ダブル石川という両者の反応を見てみたいキャスティング。



ゲゲゲの鬼太郎(6期) 第68話「極刑!地獄流し」
©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション
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 「ゲゲゲの鬼太郎」6期68話を視聴。「地獄流し」の話にお盆と蜘蛛の糸を絡めた組み合わせの妙と言える回でした。

 地獄の肉を口にしたカケルは、ナイフを持った腕と顔を吐き出し、更にそれは土蜘蛛へと変化します。カケルの犯した罪は強盗――ナイフを持った腕とその顔は彼の罪の象徴です。それに目を向けず口中に収めても、罪を贖うことはできません。目を向けることが叶うようになって初めてそれは、醜い本性を顕にする――土蜘蛛とは、カケルが自分をクズと称する心性そのものなのでしょう。だから彼はそれと戦わなくてはならない。1人で蜘蛛の糸を掴んで地上に出ようとするのではなく、共に旅をした男を助けようとしたあの時、彼は自分の罪と醜さに向き合うことができるようになったのでしょう。そうさせてくれる、自分を見てくれている人として、亡き親というのは確かにもっとも身近な存在であったように思います。

 ただ、カケルが私達にどこか親近感を持たせる存在であった分、改心の話としてはいささか弱かったような印象も受けました。カケルは「あの程度で地獄行きなんて」と言い鬼太郎に睨み返されますが、その罪の意識の薄さはともかくとして、実際彼の犯した罪は比較的取り返しのつくものでしょう。強盗の際に人を刺したわけでもなく、その金は借金で首が回らなくなって奪ったものであり、逃走中でも人を轢きそうになれば咄嗟に避けようとする良心は残っている。ある意味、助かって当然なんです。誰かをただ純粋に悪意で踏みにじったり、命を奪ったり、それをなんとも思ってもいないような、そういう「悪人」と定義されるような一線はけして越えていないのです。
 カケルがそういう人間であったなら、視聴者は救われなくて良かったのにと思ったかもしれません。けれど、カケルの父だった男が語るように「上手く行かなくたっていい」「1人じゃないと感じれば人生は虚しくはならない」と言うのなら、もうどうしようもなく上手くいきようの無い、取り返しのつかない罪を犯し、視聴者に死んでいいと思われるような人こそ今回地獄に流されても良かったのではないかとも思うのです。死んだら地獄行きはもう決まっている人が、それでも今後の生き方を変えるようなお話であっても良かったのではないかとも思うのです。
 そういう意味で、必ずしも僕の趣味にはフィットしませんでした。でも、お盆にふさわしい素晴らしい回だったと思います。

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