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手のひらの上の選択の価値――「HELLO WORLD」感想


 「この物語(セカイ)は、ラスト1秒でひっくり返る──」眼鏡っ娘好きには間違いない謳い文句かもしれない。



HELLO WORLD
Ⓒ2019 「HELLO WORLD」製作委員会.

 「HELLO WORLD」を視聴。納戸もどんでん返しを繰り返す本作ですが、一番驚いたのはナオミ(10年後の直実)の片足が動かなくなっていたことでした。この感想では、それに着目して語ってみたいと思います。


 ナオミが当初立っていたのは「操る者」の立場でした。10年前の仮想世界に介入して直実(10年前の自分の再現データ)に未来を教え、それを改変するよう唆し、実はそれを利用して瑠璃を自分のところへ連れて行くことを企んでいる。前半の直実は、彼の手のひらの上で踊っていたに過ぎません。

 しかしそんな悪魔的なことを自在にやってのけた彼の実像は、むしろ自由とは程遠いものです。落雷で昏睡状態に陥った瑠璃に声をかけ続け、彼女を目覚めさせる手立てを求め進路を決め、仮想世界への侵入を試みる。彼の10年は全て、瑠璃を思うためだけにありました。彼が何千回と仮想世界へのスイッチを押し続ける姿は、憑かれていると言ってもいい。何に憑かれているかと言えば瑠璃を取り戻したいという思いであり、彼の足が不自由なのは、直実を操ってきた彼もまた操られた存在だという証に他ならないのです。だからナオミが瑠璃ではなく直実を守ろうとした時、自分を操ってきたものから解き放たれた時、彼の足は再び動きを取り戻します。

 そしてラスト、仮想世界を内包する仮想世界を作ったのが瑠璃であることが分かり、全ては彼女の手のひらの上であることが明かされるわけですが――しかしそれは、そこで踊っていた直実やナオミの選択を無価値にするものでしょうか?否。例え誰かの手のひらの上であっても、自分が決めたことに価値も重みも存在しているのです。直実は騙されていたとしてもナオミに親愛の情を感じていたし、仕向けられたものであっても瑠璃と築いた関係はナオミの経験とは異なる、彼独自のものなのですから。


 私達は自由に選択しているようでも何かしらの制約を受けているし、不自由な制約の中で行動しているようでもそれはやはり自分で選んだことには変わりありません。自由と不自由はどちらか片方だけが存在しているということはなく、だから私達は自分の選択に責任を持たなければならないのでしょう。大きなスケールから私達個人に目線を向けることのできる本作は、確かに直実の好むSFや瑠璃の好きな冒険小説の要素を持っていたように思います。

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