アニメ視聴とはペアダンスである
「アニメ視聴とはペアダンスである」という例えを思い着いたので書いてみたい。僕は「アニメとは人格を持った個人に等しく、アニメ視聴は作品との対話である」と書いてきた。例えには自信を持っていたが、違和感もまた抱いていた。https://t.co/9PmL0I7OzY
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年10月16日
アニメにはワンシーンではなく全体が醸し出すテーマ(主張)があって、それは見ようによっては作品の人格にも等しい。だから、テーマを探りアニメという相手を理解することは対話であると僕は考える。
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年10月16日
しかし、それは非対称的な対話に限定されるものだ。
アニメは自身の言葉を語り直すことはできないし、僕達視聴者はアニメに自分の声を伝えて態度を変えてもらうことはほぼできない。発信者と受信者は固定されているのだ。なら、「対話」よりも非対称性を強く持った表現の方がより適切ではないか?
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年10月16日
そこで浮かんだのがペアダンスだった。ペアダンスにはリーダーとパートナーが存在する。リーダーが踊る方向性をリードし、パートナーは示された方向性をフォローする。リーダーを発信者、パートナーを受信者とすればそれはアニメ視聴と同じく非対称の関係だ。
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年10月16日
そして重要なのは、ペアダンスは2人で踊るものだということ。リーダーであるアニメによって一方的に出来が決まるのではなく、パートナーである僕達視聴者がいかに上手くフォローできるかにも左右される。
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年10月16日
アニメはさり気なく、あるいは大胆に僕達をリードするし、曲調は一定ではない。それに対して「ロボットが出るんだからバトル満載でなきゃ」「前半こうだったんだから」などと思い込めばフォローが狂う。結果、ダンスは足を踏むか踏まれて止まってしまう。
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年10月16日
情熱的なリード、優雅なリード、芸術的で難解なリード。僕達視聴者はアニメの十人十色のリードを読み取りそれに合わせることで、「視聴時間」というダンスを滑らかに踊ることができる。共に踊れる一体感はもう、それだけで気持ちのいいものだ。
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年10月16日
僕達視聴者がアニメを読み解く力を身に着けるというのは、パートナーとしてフォローが上手くなるということだ。手を取って踊れる相手が増え、より息の合った踊りができるようになるということだ。誰と踊るのが気持ちいいかとはまた別の話。
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年10月16日
もちろん僕にもリードの好みや相性はある。巧拙も感じる。けれど何よりまず、一緒に踊れるようになることが楽しくてたまらない。
— 闇鍋はにわ (@livewire891) 2019年10月16日
アニメを視聴し読み解く幸せとはきっとそういうもので、だから僕は明日もまたアニメを見る。ペアを組んで、踊るのだ。

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