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ライフベーシスト・相生あおい――「空の青さを知る人よ」感想


 このクリアファイルあざとい。睨むような表情なのにあおいの右肩のはだけ具合があざとい。リボンが目立ってあざとい。連鎖して制服のデザインまであざとい。たまったものではない。これを見ながらなら溶鉱炉に落ちてもサムズアップできるのではないか。無理か。



空の青さを知る人よ
©2019 SORAAO PROJECT

 「超平和バスターズ」として盛名を馳せる長井龍雪・田中将賀・岡田麿里トリオ。その最新作「空の青さを知る人よ」ポスタービジュアルでは登場人物の1人である相生あおいがベースを抱えた姿が描かれているが、実際のところベース演奏シーンが占める割合はさほど大きくはない。しかし本作は紛れもなくベースの、ベーシストの物語である。




 この物語は、ノイズキャンセリングイヤホンで周囲の音を断って演奏を始めるあおいの姿から始まる。太い眉、キリッとした目つき、地元では誰とバンドを組むでもなく演奏し、進路面談では東京に行ってバンドで天下を取ると断言する。あおいの言動・行動・外見の全ては他を寄せ付けぬ我の強い娘であることを主張し、それを引き写しにしたような演奏は慎之介にベースの役割を弁えていないと言われるほど。

 しかし物語が進めば進むほど、実際の彼女はむしろ我に乏しい――主体性に乏しいことが明らかになっていく。登下校は姉のあかねに送迎してもらい、東京に出ていくのは自分が田舎から解放されるためではなくむしろ姉を自分から解放するため。ひょっとすると「あか姉」という呼び方も慎之介があかねを名前で呼ぶのを真似して崩れたものかもしれない。バックバンドへの参加も半ば巻き込まれるような形で始まったことを含め、あおいはむしろ自分のあるべき主体性に戸惑っている。だから演奏技術は上達しても、バンドのベースとしては馴染まないのだ。


 「周りの音を聞きつつ、自分のペースは崩さない」……作中において定義される良きベースの姿とは、すなわち主体性の理想形だ。他者の声に耳を閉ざしたりせず傾け、それでいて従属するのではなく自らの意思を持つ。物語を通してあおいはそれを学んでいく。しんのとの再会を通して自分を見つめ、タイプのまるで違う千佳と少しずつ友人になり、彼女とのやりとりでしんのへの自分の好意に気付き、姉の幸せと相容れないそれに苦しみ、姉の思いを知り悩み、そして、しんのも慎之介も応援したいとの結論に至る。楽器こそ持たずとも、それは彼女が人生におけるベースの練習をしていくことに他ならない。

 かつて、しんのは「未来のうちのベーシスト」をあおいに託した。慎之介とあかねを結ばせたあおいは、見事ベースの役割を果たしたのである。彼女を「青い子」の系譜として考えたり、同じくリズム隊を務める正道・正嗣親子も交えて語ることもできるかもしれないが、何よりあおいのベース演奏が美しかったことを記して、このレビューの終わりとしたいと思う。

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