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繋がりと切断のループ――「フラグタイム」感想


 救い、救われ。



フラグタイム
©2019 さと(秋田書店)/「フラグタイム」製作委員会

 さとの漫画を原作とした映画「フラグタイム」。本作は時を止めることのできる内気な少女・森谷が、クラスメートの村上だけは止まった時間の中で動けるのを知る場面から始まる。誰とも繋がらない特別な時間が特別な繋がりを生んだわけだが、その始まりは本作の持つ転倒を象徴している。

 例えば、森谷は人と接するのが怖くてクラスメートの小林から話しかけられる度に時間を止めて逃げていた。繋がりを断っていたわけだが、目の前で森谷に消えられることを繰り返した小林は彼女に嫌われているのではと不安がっていた。本当は、繋がりを断ててはいなかった。
 例えば、森谷は時を止める力を通して村上と特別な繋がりを持てたと感じたが、関係が深まったからこそ、村上がまるで人形のように他者の望みを叶えるばかりの人であったことを知る。本当は、繋がりを持てていなかった。
 「繋がり」と言われれば私達は友好的なコミュニケーションを連想しがちだが、クラスの人気者のはずの村上が実際は誰に対しても媚びる人間だと陰口を叩かれるようにそれはけしてイコールではない。「繋がらないことで生まれる繋がり」もあれば「繋がることで生まれる繋がらなさ」もある。時を止める力は前者の苦しみを浮かび上がらせ、同時に後者の悩みを対の関係として本作に彫り込んでいる。

 繋がらないことで繋がり、繋がることで繋がらない。堂々巡りのようにも思える二つの悩みはしかし、循環することによって人と人との関係を成り立たせている。相手を分かったつもりになるのも自分を誰も理解しないと考えるのも等しく傲慢であり、それは循環を断ち切りどこにも行けなくしてしまう。矛盾しているようでも、「繋がらないことで繋がり、繋がることで繋がらない」を繰り返すことで人は他者との関係を築き直し続けていく。だから森谷は村上に自分のことを全部分かったつもりにならないでと言う一方、村上について自分が分かったことを伝えもするのだ。

 物語が終わっても、森谷にはもちろん誰かと接する喜びばかりがあるわけではない。それでもその逆だけではないと知れたなら。そういう関係があると知れたなら。彼女は奔流とすら言えるその循環にも飛び込んでいけるのだ。

 今後見られないかもしれないという不安から劇場に足を運ぶ縁を持ちましたが、良い、作品だったと思います。

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