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少女は福の神になる――「ゲゲゲの鬼太郎(6期)」87話感想


 それがパティシエールか、はたまたまるで別の形なのかは分からないけれど。



ゲゲゲの鬼太郎(6期) 第87話「貧乏神と座敷童子」
©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション
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 「ゲゲゲの鬼太郎」6期87話を視聴。記事のお題は言わずもがな僕が眼鏡っ娘好きだから……というだけではありません。今回は貧乏神に座敷童子という2人の妖怪(?)が登場しますが、ゲストである眼鏡っ娘の綾もまた彼らに並ぶ存在だと考えるからです。

 取り憑いた家から金運を失くす貧乏神と、居候した家を金持ちにする座敷童子。今回のゲストは全く逆の能力を持っていますが、実は2人が目指すところはそう遠くありません。座敷童子は宿った家の人を笑顔にしたいと考えていたし、貧乏神はかつてあくどい商売をしていた綾の両親に取り憑くことで被害の拡大(笑顔の消失)を防ぎまた2人を綾の愛するに足る人間へと変えていました。自分の能力を使って人を幸せにしたい。その点で2人は同志である、とすら言えます。そして、座敷童子が綾を幸せにしたいと考えたのは、彼女が皆を笑顔にしたいと考える少女だったから。つまり綾もまた同志だったからなのでした。

 座敷童子も貧乏神もその能力は両極端で、単独では過剰な結果を生んでしまいます。座敷童子の過剰な金運が両親をロクでなしに戻してしまったのは描かれた通りですし、綾が涙したように貧乏神によって彼女の両親が苦労したのもまた事実でしょう。笑顔を失えば意味がないのは貧乏も裕福も変わりません。だからその一番大切なものこそを取り戻すことこそ、何の能力も持たない綾という3人目の同志が果たすことになる。
 綾は確かにお金を燃やしましたが、彼女の家にはけして貧乏神は戻っていません。それは彼がヤクザに狙いを変えたからだけではない。笑顔という願いを見据えた綾という同志が既にそこにいるからです。貧乏神も座敷童子ももう必要がない。綾という「福の神」がいれば、あの家から笑顔が損なわれることはもうないのでしょう。

 というわけで、この素晴らしいポジションに眼鏡っ娘を据えてくれた采配に感謝して今回の感想を終えたいと思います。座敷童子さん綾のかわいさについて語り合いたいので2,3日、反動が来ない範囲でご逗留いただけませんか。

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